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忘れ物が多くて整理整頓ができない小学生◆母は毒親だったのかな

私は「忘れ物が多くて片付けも整理整頓もできない子」と言われて育ちました。

自分でも、なんでこんなに物がすぐなくなるのか、片付けも整理もできないのか…。
わからずも、性格とか性質とか能力がないのかもとか、そういう仕方ない事として受け入れていました。

それに疑問を持ったのが、結婚してからです。

掃除・片付け・整理整頓をしてくれる母と離れたらすぐさま汚部屋になって全ての小間物を失くしてしまうと、戦々恐々と新婚生活を送っていたのですが、いつまでたっても、物がなくならず、置いた場所にあるのです。

髪ゴムや携帯電話などの毎日使うものですら、あれ?と思うくらいなくなりませんでした。
なくなったとしても、思い当たる場所(寝てた枕元、最後の記憶の近辺など)を小一時間も探せば必ずあるのです。

服の整理もそうでした。

実家では母が各々のタンスの引き出しに洗濯済の服を入れてくれていたのですが、私の引き出しだけは散らかり
「また引き出しの中がぐちゃぐちゃや、ちゃんと整理しといて、はいらんやろ」
と、よく言われていました。
整理しても、数日のうちに元のぐちゃぐちゃに戻りました。

でも、新婚生活の引き出しではそういう事がありませんでした。
靴下も下着もシャツも、入れた所から動きません。
いつの間にか服が押しくらまんじゅうせず、取り出しても崩壊しないし、引き出しを出すとき服が引っ掛からないのです。

不思議でした。

良い事なんだけど、怖い。


小学生のころ、ずっと探していた鍵がキッチンの箱の中から見つかり、なんでこんなところにあるの隠したの?と母に聞いたことがあったのですが、諫められて終わりました。

普段穏やかな母がちょっと強めに言っただけでビビる小学生

「自分でなくしたものを人のせいにするな」と叱られ、それもそうだと母の言い分を受け入れました。
母を疑うことなく、何度も言われて疑問を持つことも忘れ、私は母の言う通り「忘れ物が多い片付けも整理整頓もできない子」なんだと信じて育ちました。

服だけではなく、色んな引き出しも、父と兄のはいつまでもきれいだったので、私だけができない悪い子、と思っていました。


新婚生活の色々で、やっと気づきました。
でも母への思慕が捨てきれずにいまだに揺らぎます。

でも、いくら整理したとて、母が私のものに悪意を持っていたらそうなるよね、と。

そういう事なのでしょう。


そもそもの基本として、私は忘れ物が酷く、連絡プリントを見せない、必要なものを朝に言いだす小学生でした。

早朝「もっと早くに言えと何度…っ!」と、怒り狂う母と一緒に町内アイテム譲ってくださいのご近所巡りをしていた記憶もあります。

当時は「忘れ物が多い子供の対処法」なんてものが簡単に調べられる時代ではなかったともちゃんとわかっているのですが、

あの時は、申し訳なさと同時に、忘れ物が多い子に「忘れないように毎日チェックしなさい」と生活ボード?のようなものを渡し後は放置、のやり方には疑問を持っていました。

当時の疑問を言語化したらこんな感じ。

私なりに疑問を調べてみると
そもそもの、忘れ物をしない子に育てるためには

①忘れ物をしたことを責めない
 責め続けると「自分はできない子」と認識が定着して
 自分から動かない子になってしまうらしい
②どんなことでもほめる
 「自分は大切にされていて、できる子なんだ」という
  意識を定着させれば、自分で考えて動く子になる
③一緒に考えて環境を作る
 素直になってくるので、子供と一緒に考えて
 子供に合った忘れ物をしにくくなるような環境を作る

という行程が必要らしいのですが、私は母に①も②もされたことがありませんし、物心がついた幼児の時からずっと、兄だけがこういうことをされていた記憶しかありません。

かろうじての③ですら、

 「毎日連絡帳をみてあげる」
 「毎日声をかけたり気にしてあげる」
 「必要なものを見極めてチェックリストを作ってあげる」
 「どうすればいいか聞いてあげる」
 「一緒に考えて環境を作る」

という「私のためにする継続が必要な面倒なこと」は、早々に切り上げていた印象があります。

で、結果、そりゃそう育つよね、という事になったのでは…。

「お兄ちゃんはできるのになぜ」も、ずっと何度も言われていましたが、
①も②も③も、溺愛息子ラブラブパワーで必要以上に構ってるのだから、できて当たり前だったのではと。
知識がある今なら反論することができます。