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ちょっとだけ異世界に迷い込んだ話

この世界というのはそんなに安定しているものではないのかもしれない。
ちょっとしたことや、ふとした時に気づかぬまま
世界を跨いでしまうことがあるように思う。

この話は、以前私が『ちょっとだけ異世界』に迷い込んだお話である。

その日はちょっとだけ遠方の友人を自宅まで車で送り届けていた。

その友人の住んでいる街はかなりの田舎だった。
どれくらい田舎なのかというと二階建て、三階建ての建物はなく
ほぼ平屋で家屋同士の距離が離れている。
見渡しても商業施設はおろかコンビニすらなく、
田園風景のずっと先に街の明かりが少し見える程度。

外灯は少なく、暗い道がかなりの時間続く。
基本まっすぐ伸びる一本道。
とは言え、
アメリカのハイウエイのように地平線までの一本道というわけではない。
途中で枝分かれがあったり、少し登ったり下ったりする。
所々、右左折できる道があるのだが
それはどこかの大きな道に通じているのではなく、
最終的に誰かの家の敷地内に入り込みどん詰まりとなる道である。

そんな田舎に住む友人を自宅に送った。

時間は午前1時を過ぎていた。
男2人が乗った車は真っ暗な一本道を走っていた。
くだらない話の合間に友人の案内が入る。

基本一本道のためそんなにわかりにくいこともない、
わかりにくいこともないはずだった。

無事友人を自宅前まで送り届け、あとは引き返すだけである。
元来た道を逆に辿ればいいのである。
この時点で既に午前2時になろうかとしていた。

車内ではラジオが途切れ途切れに流れている。
ラジオDJがしばらく喋るとノイズに変わり、
ノイズの奥の方から少しだけ人の声が聞こえる。

普段ならイライラしてCDに変えているのだろうが、それはしなかった。
ノイズが入らないCDよりもノイズ混じりでも
生きた人の声を聞いていたかった。

ノイズの奥の人間の声に集中しながら運転しているとあることに気付く。

ーーーーーーあれ?この道通ったっけ?

ノイズの中の声から車外の風景に意識を向ける。
見たことのない風景だった。スピードを落として路肩に停車する。

ーーーーーー道、間違った?

いやいや。ほぼ一本道だ。間違いようがないだろう。
でもこの風景は見たことがない。

確かに道中くだらない話で盛り上がった。
それほど風景に対して意識はしていなかった。
しかしこれはさすがに違う道だ。

田舎なのは田舎なのだ。
でもいわゆる近代的な田舎ではないのだ。
家屋や家といより、あるのは小屋、小屋、小屋。

真っ暗な一本道にポツポツと存在する小屋。

人の営みは全く感じられず、もう何年も、
何十年もほったらかしにされているような風景。

確かに友人の住んでいる地域は田舎だ。
でもこんな深夜でも人の営みは感じていたはずだ。
遠くに小さく光る建物の明かりや、忘れた頃に通る車。

それが今、全く無い。
真っ暗な一本道にポツポツと存在する小屋しかない。

その小屋に目を凝らすと、錆び付いている看板があるのに気づく。
どんな絵が描かれているのかまではわからなかったが、
確実にここ最近の絵柄ではないことはわかる。
色使いやおそらく文字であろうフォントは最近のそれではなかった。

私は来た道を引き返した。
どこで間違ったかわからないが、とりあえず記憶にある風景まで
戻ればなんとかなるだろうと思った。

その時はもうノイズから声を探すことはしなかった。
運転しながら風景を満遍なく見回していた。

見回していたからこそ、またおかしなことに気づく。
来た道を戻っているはずなのに、初めてみる風景だった。

勘違いであってくれと思いながら進む。進むしかない。
道は一本だ。

そして
目の前に現れたのは大きなトンネル。
友人を送り届ける時にはトンネルなんて通ってない。

直感的にこのトンネルを進めば
もっとおかしなことになりそうな気がした。

また、引き返す。また初めてみる風景。どんどん変わる風景。
家々はなく、朽ち果てた小屋が暗闇の中にポツポツと。

とりあえず、停車してその送り届けた友人に電話をする。
もっと早く電話すればよかったじゃないか、と思うかもしれないが、
実は序盤でその案は見送っていた。
なぜならば携帯電話の充電はもう底をつきかけていたからだ。
おそらくあと一度か二度の通話で電源は完全に落ちるだろう。
メールだと、読まれることなく時間が経ち、こちらの携帯
の電源が落ちてしまうかもしれない。

だから、道中は電源を切り、温存していた。
祈りながら電源を入れ、電話をかける。

ーーーーーーーーどうしたの?
友人は何もわかってない。腹が立つ。

------------------------ちょっと迷ったんだけどさ、道教えてよ。

友人はこの状況がそんなに重大なことではないらしい。

------------------------なんか目印になるようなものある?

周りを見渡す。真っ暗な中、発見した。
確実に私の居場所を明確にしてくれるランドマークを。

バス停。
私はバス停の前まで車を移動し、バス停に描かれている名前を読み上げる。

------------------------「シンワイリグチ」ってバス停のそばなんだけど。

友人は少し唸った。

------------------------ちょっと待ってね、調べてみるから。

------------------------あっ。あーーっ!待て待て!充電がやばいんだよ。
一旦切るから調べて電話してくれる?

しばらくして、友人が折り返してきた。

------------------------えっとね、「シンワイリグチ」だっけ?あのね。

友人は言い淀んでいる。バカだから順路を説明できないんだろ?
もう順路でなくてもいい。ここがどのあたりに位置しているのかさえ
教えてくれればあとは道路標識とか見つけて確認しながら進むから。

私は、そう思いたかった。

単純に、私もバカだから一本道を間違えたのだろう。
元々方向音痴だし、運転もそんなに好きではないし、慣れてないんだよ。
だからさ、とりあえずここがどこか、
どの地域なのかさえ教えてくれればいいからさ。

私は、そう思いたかった。

それとは裏腹に、友人は一番言ってはいけない答えを口にした。

------------------------そんなバス停、ないよ。

ハッーーー。ほんとにバカは腹が立つ。
ないわけないやろ。ほなここにあるバス停はなんやねん。

このバカとの押し問答で少ない充電を使うわけにはいかない。
私はもっとちゃんと調べて折り返すように促し電話を切った。

電話を切ったあと、私はその場にしばらくいた。
なんとかグルグル回って活路を見出すべきなのかもしれないが、
それはできない。

実は車も序盤で緊急事態が発生していた。
ガソリンがほとんど、ない。

もうエンプティーのラインにバーが乗っている。
これで動き回って、人がいない場所で動かなくなられたらおしまいである。

携帯はおそらく通話であと一回。
ガソリンはもう長くはないだろう。

混乱してきたので私はこの状況を整理した。

友人を送り届けた。
元来た道を引き返すだけ。
引き返しているつもりが、初めてみる風景に。
慌ててまた引き返すがここもまた初めて見る風景に。
引き返そうと引き返し、また引き返す。
頼みの綱のバス停は存在していないらしい。

どう考えても、おかしいのだ。
どうして数分前に通った道に戻ろうとすると全く知らない道になるのか。
そして一番不思議なのは、この風景である。

明らかに自分が住んでいる時代の感じがしない。
「時代」というか、なんだか「世界」ごと違う気がする。
深読みするなら、時代が進んでいく中で選択されなかった風景。
「こんな時代になり得たかもしれない」という世界。

充電が切れそうな携帯を持ち、
ガソリンも底をつきそうな車の中で私は思った。


おしっこが、したい。

猛烈にしたい。おしっこが、したい!!めっっちゃしたい!我慢できない!
いやいや!トイレあるのかよ!こんなとこに!
もう「違う世界」とかそんなんどうでもいい。
おしっこがしたい!
いや!もう小便がしたい!
催しているのだ!尿意を!
なんでこんな時にしたくなるかね!?
びっくりするぐらいおしっこがしたい!!
携帯を充電するより、ガソリンを入れるより、
まずおしっこがしたい!!!!


私は社外に出て、一応トイレを探そうとしたが
真っ暗な一本道でもうそれは無意味である。

私は車から離れ、近くにある建物を目指した。
2〜5mぐらい先に昭和初期ぐらいの消防団の建物があった。
万が一人の気配がするならば、この時間だが迷惑承知で
声をかけようと思った。
まぁそんな一抹の希望は打ち砕かれることぐらいわかっていた。
人の気配、人の営みなんてものはとっくの昔になくなっている建物だ。
そんなことより尿意である。


おしっこがしたい。

やはりこんな時でもひとかけらの良心や自制心はあるらしく、
道の真ん中や建物の前でイチモツを出すのをためらった。
誰もいないのは明白だ。なんだったらもう全裸で歩いたっていいぐらいだ。
しかし私は建物の裏手に周り、暗い道のさらに暗がりへ入り込んだ。


立小便をした。


ダメだけど。いわゆる立ちションをした。小学生以来である。
小学生の立ちションはかわいいものである。
成人男性の立ちションは一気に犯罪臭が増す。
それは成人男性のイチモツが、屋外に露出するからだ。
小学生のイチモツよりもっとイカツく、生々しいイチモツが
露出するからだ。
しかしここは別の世界かもしれない。立ちションしたって知るかよ!
なんだったらイチモツ出したまま走り回ってやろうか!?
尿意を解放し、ちょっと気が大きくなった。

私は落ち着きを取り戻し、車へ戻る。
現状は何も回復してはいない。
自宅へ送った友人からの折り返しはもう期待できない。

携帯の残り一回の通話を自分の彼女にかけてみることにした。
気分的には人生最後の会話である。
それは言い過ぎだが、彼女は運転が上手で、
割と遠出も慣れていたので何か解決策が見つかるかもしれないと思った。

収穫はなかった。
最悪迎えにきてもらおうかとも考えたが、まず何より自分がこの場所がどこかわかっていないので説明しようがない。
「シンワイリグチ」というバス停を伝えてもわからずじまい。

そもそもその「シンワイリグチ」というバス停の名すら奇妙でならない。
「シンワ」の「イリグチ」。よく考えたら怖い。
無事出れるのか、「シンワデグチ」はあるのだろうか。

私は「シンワ」という異世界に迷い込んだとでもいうのか。

意を決してエンジンをかける。
もうここまできたら先に進むことを考えよう。
携帯の充電はもうない。
ガソリンはエンプティの線を超え始めている。

私は車を走らせた。いくつもの初めての風景を見渡しながら。

そうこうしていると、薄ら夜が明けてきた。
さっきまでのような真っ暗ではなく薄い紫色の風景になってきた。
そしてなんと大きな道に出ることができた。
明らかにバイパスか何かで、進めば高速に入ってしまうのではないかとう懸念があったが、高速ならばおそらく料金所があるだろう。

料金所におっさんがいることを願って、私は進んだ。

その道は高速には入らないただのバイパスだった。
進めば進むほど、街の光が戻ってきた。
ちょっと先にコンビニの看板が見える。
二階建て以上の建物が見えてきて、人の営みの気配がする。

ついに人の気配を取り戻した。
いや、気配ではなく確実に、新聞配達の原付とすれ違った。

ガソリンもなんとか持ち堪えてくれて、
無事自宅へ帰ることができた。

これが私が迷い込んだ「異世界」である。
ネット上でもいろんな異世界に迷い込んだ話があるが、
何か大きな事件や、異世界の人と関わることもなかった。

ただの大きな勘違い、迷子になっただけなのかもしれない。
しかしこういう得体の知れない勘違いが、
普段の日常に現れる脳のバグのようなものが、
実は異世界への入り口なのかもしれない。

私はあの風景と、「シンワイリグチ」というバス停が存在する世界を
「ちょっとだけ異世界」と名付けた。

私たちの世界とほとんど変わらないが、
もしかしたら選択され得なかった時代なのかもしれない。
今の時代や世界と、“ちょっとだけ”違う世界。
そんな世界に私は“ちょっとだけ”迷い込んだのだろう。

数ある異世界系の体験談の中で、
異世界で立ちションだけして帰ってきた男は他にいないだろう。


「ちょっとだけ異世界」から帰ってきた私のパンツは
“ちょっとだけ”おしっこで濡れていた。



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