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【安穏】彼女と師がもたらす平和。

サラサラの少し茶色ががった髪を耳にかける彼女。
かわいらしい耳が顔を出す。

出したのは顔ではなく耳なのだが。

彼女の耳には小さな機械がついていた。
彼女はその機械を指差しながら言う。

「この前会った時、初めて会った時ね。今まで使ってた“コレ”が
壊れちゃってたから、つけてなくて何回も聞き返してごめんね。」

私は次の言葉を待った。

「でも今日はちゃんと聞こえる。」

彼女の表情が爛々としたものに戻った。
戻ったが私の顔色を伺ってもいるようだった。

「よかったぁ!おれ自分が滑舌悪いんやと思ってた!」

「次の日に誘ってくれたけど行けなかったのはね、
行きつけの病院が遠くて、一回実家に帰ってたから。」

そう言って彼女はドリンクを飲む。

実際耳の話はどうでもよかった。
どうでもよかったと言うのは、悪い意味ではなく、
私自身もメガネをかけないと見えないし、コンタクトだってするし。
身長が低いから高いものを取るときは、
普通の人が背伸びで済むのに私は台がいる。
そのぐらいのことだろう。
軽んじているわけではない。

その日は楽しく食事をして別れた。

そして後日、私と彼女は付き合うことになった。

私は、彼女と付き合うようになってから実家から徐々に離れていった。
もともと仕事が終わってみんなとファミレスに集まって朝方まで喋って、
寝るだけのために実家に帰っていたので、何かが変わったかと言われると
「寝床」ぐらいである。

彼女と付き合うようになってからは仕事が終わってのファミレスを早めに切り上げ、一人暮らしの彼女の家で寝るようになった。

そして彼女の家から仕事に行っていた。
私は人と暮らすことが苦手だが、まぁ寝るだけの状態だから
別に苦ではなかったし、むしろ何も考えず寝れる場所はありがたかった。

寝るだけの場所から、だんだんと生活の出発点になるのに
さほど時間はかからなかった。

私はその時代、食事をとることが人より少なかった。
理由はまず、朝ごはんを食べない。
これは中学生ぐらいからそうだった。
そして昼ごはんも食べない。これも中学生の頃から。
パン注文を諦めたからだ。

夜ご飯は食べていたのだが、
仕事終わりのファミレスに行くようになってから食べなくなった。
喋ることに精一杯で飯を食うことへの欲が湧いてこないのだ。

しかもお金はないし、ちょうどいいと思っていた。
その代わりドリンクバーは恐ろしく飲んだ。

人間というのは不思議なもので、空腹をそのまま放置していると、
逆に何も感じなくなる。
「空腹の向こう側」である。
そしてこの「空腹の向こう側」というのは当たり前だがいいことではない。

このことが大きな事件に発展するのはもう少し後の話である。

そういう生活を不憫に思ったのか、
彼女は夜ご飯を準備してくれるようになった。

しかし私は人の手料理が苦手である。
ご家庭の味というか、独特の味付けが合わない場合があるのだ。

というのもうちの家庭が母親の家事嫌いのせいでほとんど出来合いのものや簡単な料理で塩味、醤油味というように
まるっきりわかるものものしか出されなかったからである。
ちょっと工夫されるとマズイとかではなく、合わないのだ。

だから、彼女の手料理は毎日ではなかったので手料理の日を予測してあえて予定を入れたりして回避していた。
まぁ何度かはタイミング悪くかち合った時があって、
美味しくいただいたこともあったが。

そういう生活をしながら、
バイト先では相変わらず師との時間を過ごしていた。

いろんなことを教えてもらったり、
防犯カメラのモニターで映画を観て二人で号泣したり、
店の前の駐車場でサッカーをしたりした。

スケボーに初めて乗った時なんかは、私をスケボーに乗せて
駐車場の目の前の国道に向けて私の背中を押した。
田舎とは言えど、結構主要な国道だから車はバンバン通るし、
私自身はスケボーの止め方を知らなかったので国道の真ん中で
飛び降りて急いで戻った。
師は、ゲラゲラ笑っていた。

新しい靴を買った時も、「よく見せてくれ」と言われたので靴を脱いで
手渡ししたらそのままゴミ箱に放られた。
この時も師はゲラゲラ笑っていた。

店にあるカッターの刃を取り替えた時も「試し切り」と言って
私の股間あたりを切りつけた。まるでジャイアンである。
つけていたエプロンがすっぱりと切れ、
エプロンを外してみるとズボンもすっぱり切れていた。
パンツ一枚で大事な場所を守っていた。
この時も師はゲラゲラ笑っていた。
後日、私が買えないようなブランドのズボンをくれた。

師も、私もゲラゲラ笑っていた。

こうやって書いていると、私の師はやたら傍若無人な男に聞こえるが
情に熱く、芯の部分が優しく、そのために自分を犠牲にすることや
自分の手間が増えることを厭わない男である。

私のような出来の悪い男を見限りもせず、
当たり前のような社会の仕組みや世の中のことを
一から教えてくれた。

私は父から教わったことはほとんどない。
だから私は今でも「尊敬する人物は父です。」と言う
人のことがよくわからない。
いい父親を持って幸せだなと思う。

本来、父や家族から教わるべきことを、私は師から教わった。

これを読んでいるあなたの価値観や、思考などは少なからず
家族の影響を受けているのではないだろうか。
もちろん自身で身につけた人格というのもあるだろうが
その前提となるものはおそらく人類の集団の最小単位である
「家族」ではないだろうか。

あなたが家族から教わったこと、それは言葉でなくても行動や
価値観、そういうものを私は赤の他人である師から学んだ。

しかしまっとうに生きるためには、それを学ぶのは遅すぎた。

さて、師とのアルバイトは楽しく、学びが多かったのだが
たびたび事件が起きていた。

ありすぎてすべてを書くことはできないが、
私が「社会」という漠然としたものから受けた洗礼とも言えるべき
事件を紹介しよう。

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