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さあ、復讐を始めよう。社会不適合者の執念。

■正義の復讐鬼、いや正義を貫く紳士か?

・巌窟王とは

『巌窟王』は、アレクサンドル・デュマ・ペールの小説
『モンテ・クリスト伯』の黒岩涙香による翻案小説の題名。
原作の別名にもなっている。
(Wikipediaより引用)

・アニメ『巌窟王』

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この記事内ではアレクサンドル・デュマ・ペールの小説
『モンテ・クリスト伯』を原作とする日本のテレビアニメである『巌窟王』を主軸に書いているので原作とは違った観点があることをご容赦願いたい。

※アニメ『巌窟王』の核心に迫る部分やセリフ等あるので
未視聴の方はご注意を。

■簡単なあらすじ

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・モンテ・クリスト伯爵との出会い
舞台は幻想世界である未来のパリ。
貴族であるアルベールは退屈な日常を送っていた。
月面都市・ルナのカーニバルに参加し、ルナの社交界では有名になっていた謎の紳士、モンテ・クリスト伯爵にオペラ座で出会う。
アルベールは巨万の富を所有し、博識で紳士的なモンテ・クリスト伯爵に惹かれていく。

・「巌窟王」の目的
モンテ・クリスト伯爵は偽名であり、本名はエドモンダンテス。

一等航海士だった彼は友人に無実の罪を着せられ、結婚式の最中に
逮捕され投獄される。
牢獄で全てに絶望し、復讐を誓い「巌窟王」 として生まれ変わる。
牢獄を脱獄し、“モンテ・クリスト伯爵”を名乗り、
裏切りの関係者に近づく。

さまざまな要人を懐柔し、
自身に向けられた裏切りの復讐を果たすことが目的だった。

アルベールや、その関係者たちが「巌窟王」として生まれ変わった
モンテ・クリスト伯爵の壮大で残酷な復讐劇に巻き込まれていく。

■復讐の鬼と化した男と社会不適合者

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・叫べ、我が名を。求めよ、我が魂。我が名は巌窟王。(第23幕)
この作品を例に出したのは、何よりエドモンダンテスの執念とも言うべき
「復讐心」が社会不適合者には必要なマインドだったからである。

逮捕、投獄とは社会の秩序から外れた者になされるべき行為であるにもかかわらずエドモンは友人の裏切りによって無実のまま投獄された。
そしてエドモンは牢獄で復讐心を募らせる。

社会不適合者も過去受けた【過負荷】、
いわゆるひどい仕打ちを忘れてはいけないのだ。
なぜ疎外されたのかも、なぜ迫害、排除されたのかもわからぬまま
放り出され、蓋をされ、その理由のほとんどが【同調圧力】であり、
【最大多数の最大幸福】という功利主義においての多数決である。

一般大衆から与えられた【過負荷】においての復讐を狂うほどの執念で、
叫び、求め、成し遂げることは必要なことだと考える。

・傷つけられ痛めつけられても、再び再生して立ち上がる。(第20幕)

社会不適合者の【不適合感】は“無実の罪”に近いものではないだろうか。
疎外、迫害、排除の理由が【同調圧力】や【多数決】であるなら、
社会不適合者の罪とはなんだろうか。

価値観の相違?見た目の違い?信条?

日本国憲法 第十四条
“すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。”

この文はいったい何を示しているのか。
まさに洗脳を施された“仲間たち”にしか適用されないのかもしれない。
社会不適合者は“他者と違うこと”、“少数派”であることが罪なのである。
何ができるとか何ができないとかは排除の理由づけでしかないのだ。
社会不適合者は“罪なき罪人”なのかもしれない。
無実の罪で投獄されたエドモンダンテスのように。

しかしこの社会から去ることは何も無駄ではない。
ひどい仕打ちによって開花した【過負荷】は優しくない。

ずっとずっとついて回る。言い換えれば、ずっとあなたの能力である。
何度傷つけられ痛めつけられても、
何度でも再生して立ち上がることができる。

■社会不適合者の覚悟

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・あなたは、限界を超えて突き進む覚悟がおありですか。(第14幕)

社会の外は必ずしも楽な世界ではない。
むしろ社会の中よりも苦しいこともあるだろう。
誰も守ってくれないし、周りに誰もおらず孤独になることもあるだろう。
しかし、それでも突き通したい信念や価値観があるならば突き進まなければならない。

生き残り明日幸せになるためには、今、不幸でなければならない。

不幸に負けて幸せになるのではなく、不幸を超えた先にある幸せこそ
社会不適合者が掴むことのできる幸福ではないだろうか。

・何者にも負けない強い意志をお持ちならば、あなたは大丈夫。(第14幕)

私も実際、社会不適合者として社会の外をウロウロしている。
このことで、本当に苦労する。

金はなく、いろんなものを遅延滞納し“自転車操業”ならぬ“火の車操業”で
カツカツの生活をしているし、
昔いた友人たちはなぜかいつの間にか消え失せていて今はひとりもいない。

私はオメラスという実社会を飛び出て荒野を彷徨っている。
周りに人影は見えず、何もない。

ただあるのは、あの地平線の向こうにはまだ見ぬ“ディストピア”があるという確信だけ。そして必ずそこへ辿り着くという自信。

たまに自分を疑うこともある。
遠くの社会から聞こえる楽しげな声に涙が霞む時もある。
でも私の手にあるものをじっと眺め、また歩き出すのだ。

まさに今、同じように社会の外という荒野をひっそりと歩く者、
オメラスという実社会から罪なき罪を着せられ、歩み去ろうとしている者は
限界を超える覚悟と確固たる意志を持ち前に進み続けることをお勧めする。

まだ見えないだけで、“ディストピア”はもうすぐそこかもしれない。

■待て、しかして希望せよ!

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前回、オメラスを去った者がどこへ行くのかを想像した。
その【理想郷】は混沌として、何もかもが乱れ、
画一的ではない不規則極まりない場所なのかもしれない、と。

アレクサンドル・デュマ・ペールの小説『モンテ・クリスト伯』にはこのような一節がある。

“この世には、幸福もあり不幸もあり、ただ在るものは、
一つの状態と他の状態との比較にすぎないということなのです。

きわめて大きな不幸を経験したもののみ、
きわめて大きな幸福を感じることができるのです。”
(第七巻117章)

善があり、悪があり、光があり闇がある。
ただそこにある存在として認められる場所。
【ディストピア的ユートピア】に辿り着くには不幸は必要なのである。
そしてその【ディストピア的ユートピア】に辿り着くことこそが
社会に対しての復讐である。

道中のどんな不幸や困難にも負けることはないはずだ。
実社会で受けた仕打ちは自身を強くした。
【過負荷】はそんなに脆くはない。

さあ、復讐を始めよう。合言葉は、

「待て!しかして希望せよ!」

■まとめ

・『巌窟王』エドモンダンテスの執念は
社会不適合者に必須のマインドかもしれない。

・社会不適合者はエドモンダンテスのように、
“罪なき罪人”なのかもしれない。

・その執念と一般大衆から与えられた【過負荷】を使って復讐を成し遂げることは必要であると考える。

・社会不適合者の復讐とは、オメラスという実社会を飛び出し、
荒野の果てにある【ディストピア的ユートピア】に辿り着くことだと考える。

・どんな困難や不幸ですら、幸福に辿り着くための必須条件であるとして、受け入れること、諦めず希望を持つことが大事であると考える。

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