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【記憶】あなたの思い出は本物ですか?

気に入っていた靴、あの時計、あの帽子。
いつ使わなくなったのか、
ある日突然使わなくなりどこにしまったのかわからない。
失くしたわけでも壊れたり捨てたりしたわけでもなく、
つい前日まで持っていたものをある日突然持たなくなった。
それをさも当たり前かのように、
何事もなかったかのように受け入れてしまっていた。


あの腕時計をしなくなったその日は、どんな日だったのだろう。


そんな経験はないだろうか。


あのお気に入りの腕時計はいつ、どのタイミングでつけなくなったのか。
壊れたのかもしれないし、単に飽きただけかもしれない。
でも、壊れた覚えはないし、
思い出した今となっては逆に使いたいとさえ思っていたりする。

あの時着ていた服はどうしただろうか。
あの時のキーホルダーはどうしただろうか。
あの時一緒にいた友人はどうしただろうか。

これからの私の人生について大事なことをお伝えしておく。

現在、大学を中退したところまで書いたが、

これから先の自分の過去について記憶がほとんどない。

正確に言えば記憶はあるにはあるのだが『記憶の整合性がない』のだ。

二十歳前後の記憶がバラバラで断片的にしか思い出せない。

特に失踪前から記憶は曖昧になっていて、失踪後に大学を辞め
実家に戻った後の生活はほとんどバラバラで断片的にしか覚えていない。

「記憶の整合性」がないとはどういうことかというと、

・まだ出会っていないはずの人の思い出や記憶がある。


他人の当時の状況と私の状況にズレがある。
別の記事で詳しく書いているので参照して欲しい。

・住んだことがない家についての記憶が夢に出てくる。


これも一応夢ではあるのだが、確実にそこに住んでいたという実感と
記憶はあって、でも現実問題住めるはずがない、住所もおおまかな場所さえ
わからない。こちらも別の記事で書いているので参照して欲しい。

このようなことが大きな特徴である。

ほかにも小さな記憶や思い出が他人と違ったり、
経歴や期間などに狂いが生じたりしている。

他の方もこういうことは思い当たることがあるのではないだろうか。

例えば、みんなで集まった時などに
「あの友達って参加してなかったっけ?」という【記憶違い】や、
初めての場所なのに「なんかここ見たことあるなぁ。」
という【既視感】を体験したことがある人も少なくないはずだ。

私の場合、この【記憶違い】【既視感】がかなり精度の高い状態で、
すさまじく【本当の記憶】のように私の頭の中に記録されている。

もはや私の中では【記憶違い】ではないのだ。
自分の頭の中にある思い出こそ【自分の人生】であるはずだ。

それを他人と擦り合わせた時、その思い出の中にある状況が
物理的に、時間軸的に不可能であるとわかったら、
あなたはどうするだろうか。

自分の人生の大半が【記憶違い】【既視感】だと言われたら?

ここではっきり言っておく。
私は記憶違いなどしていない。
他人と擦り合わせた時かなりの齟齬が生まれたとしても、
私が持っている記憶や思い出こそ、
私が経験したことであり、私の人生の一部だ。

私はこの『記憶の整合性』がないではないことをずっと考え続けている。

わざわざ何者でもない個人の人生を
このネットの中で書き連ねようとした理由も、
何か文字にしたら見えてくるかもしれないということと、
私が真実だと確信している私の人生を残しておきたかったからだ。

考え続けていて、得た仮説というものがいくつかある。

① 単なる記憶違い説
②精神や心に重大な問題がある説
② パラレルワールド移動説

上から仮説が正しい(とされる)順番である。

① 単なる記憶違い


これに関しては上記でも言ったが、個人的には一番ない、と思いたい。
しかし他人から見ればこの説が一番現実味があり、
これで正解とする人もいるだろう。
しかし、自分が自分の思い出を語る時でさえ、
なにかおかしいと思うのである。
「こんなことあったよね。」と語ると、
その状況では私はその場所に存在できなかったり、
存在していたとするとその前後の思い出が
なかったことになったりするのである。

片方の記憶を真実とするなら、その前後のどこかに影響が出る。

②精神や心に重大な問題がある。


この仮説に関しては否定できない。
私が個人で判断するべきこと、判断できることではないからだ。
しかるべき診療機関などで診察して、プロがそう判断するならそうだろう。

個人的には①の記憶違いより可能性はあると思っている。

なぜかと言うと、私の記憶が曖昧になった時期の生活は
とことん荒れていたからである。

昼夜逆転生活、他人との関わりが極端に少なく他人と関わるために狂ったように自分を追い込んだ結果、失踪を決行し失敗、酒を飲み歩き、
毎日が寝不足で、二日酔い状態。

そんな状態のまま、まだ他人と関わりたいがために狂ったように
自分を追い込み続ける。

日付なんてよくわからず、
今日や昨日や明日の境目がわからなくなっていて、
ただバイトが終われば飲みに行き、金がなければファミレスで次の朝まで
喋り続け、給料を貰えばその日のうちにほとんどを使い切ってしまう。

こんな状態で人は「まとも」でいられるだろうか。
なにか私の精神や心は傷んでいるのかもしれない。
壊れているのかもしれない。

私はいままで一度だけ、心療内科へ行ったことがあったが、
私の見た目や振る舞いでたいしたことがないと思われたのか
話すら聞いてもらえず帰された。

それ以来行ってはいない。

私は自分の精神や心が壊れているとしてもそれでいいと思っている。
だからそれ以来そういう診断を受けには行かないのだ。

精神や心が壊れているから記憶や思い出がぐちゃぐちゃだ、と言われるなら
そうなのだろう。

私自身の精神がおかしいことはどうでもいい。

私が知りたいのは「私の身に起こった本当のこと」であり、
記憶の整合性がとれない「理由」はさほど重要ではない。



③パラレルワールド移動説

これが一番現実から離れていて馬鹿馬鹿しいと思う人もいるだろう。
そんなことが現実に起こるはずがない、と。

私もそう思う。

私は少し前に自分の経歴で年表を作ろうとしたことがある。
うまくいかないのだ。

上記で書いたように、
ある時期に出会っているはずのない人との思い出がある。
ある時期にやったバイトの期間と、違うバイトの期間が被ってしまう。
ある年の年越しをバイト先で仕事しながら過ごしたという記憶があるのに
そのバイト先にその時期働いているはずがない。

まるで、年表が複数あるような状態になってしまう。
別の世界の出来事を断片的に私が覚えていて、それを切り貼りして
できあがったような、不可解極まりない年表になる。

自分がパラレルを渡り歩く特別な人間であると言いたいわけではない。

② の件とも関連するが、もし私がパラレル的な思い出を作り上げ、
それを自分でも気づいておらず、
それが心や頭の不具合によるものだとしたら
これはひとつの「パラレルワールド」なのかもしれない。

私がほんとうに精神的に追い込まれており、
勝手に別の世界を作り上げ
真実を隠したか捨てたかしたのだろう。

では、真実はいったいどうなっているのだろう。

私がここまでただの記憶違いかもしれない過去、
自分が精神的におかしい可能性にこだわるのは知りたいからだ。


自分には当時、毎日一緒に遊ぶ友人がいた。
何か目的があるわけではないのだがとりあえず会う。
近くのショッピングセンターや商業施設で無為な時間を過ごし、
帰る時に次の日の約束をした。
約束をしなかった日もあった。
でも、当日に連絡して結局集まるのだ。

そんな毎日を送っていたのにある日突然
その思い出はぷっつりと途絶えてしまっている。

理由はわからない。
前日に約束をしなかったのだろう。
当日も連絡しなかったのだろう。

理由はわからない。
それまで過ごした毎日と違った日になったのにそれをさも当たり前かのように、何事もなかったかのように受け入れてしまっていた。


私が何かしたのかもしれない。
みんなが離れていった理由はわたしにあるのかもしれない。
みんながおとなになったのかもしれない。

私は、知りたい。


ずっとつけていた腕時計をしなくなったその日はどんな日だったのだろう。
毎日会っていた友人に会わなくなったその日はどんな日だったのだろう。

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