見出し画像

「にじさんじシステムと上位ライバーという概念」

にじさんじの強みは大きく分けて2つある。
1つはライバーの自主性を重視した放任主義である為、運営の操り人形にならずファンとの距離感が近い活動スタンスである事。
もう1つは「個」が集まったことによる「群れ」である事。
多様性を確保し幅広い層にアプローチしながらも「個」によるトラブルが箱にとって大事には至らないという耐性の強さを持つ。

しかしこの強みが最近になって弱みにもなって来ているのを感じる。
自主性と放任は言い換えれば実力主義であり、実力が及ばない者が群れとなった場合の堕落を引き起こす。

この流れを理解するためにもまずはにじさんじの特性から順を追って説明しようと思う。

にじさんじシステムとは

Vtuber業界においてにじさんじが最大手と呼ばれる所以となったコンテンツの一番の成長要因は「箱」によるグループ化にこそある。ただそれ以前の界隈からして既に「ギャップ売り」や「関係性売り」の芽はあった。有名なVtuber四天王にしても、清楚からの戦闘用イルカやサイコパス、可愛い見た目に汚い声の首絞めハム太郎、可愛い見た目に実はおじさんなどギャップ売りの宝庫である。

そして彼ら四天王同士のやり取りを妄想する多くのファン創作が行われ一つのグループ化の流れが出来る。個人勢同士のグループ、「対魔機忍」の完成をして界隈はその受け入れ準備を完了していた。当時のコミュニティ上でもTwitterでのV同士のやり取りに熱狂していたVtuberファンは「主体的に活動する生きたコンテンツ」「Vtuber同士の関係性」に着目し文化的な醍醐味を見出していたように思う。

そう、にじさんじは元からVtuberファンの需要にストライクな正解のルートを引いていた。

デビュー前は量産型Vtuber集団と蔑まれていたにじさんじ。しかしTwitterでのモイラ魂の100連投に始まり、月ノ美兎という一人の傑物が流れを変える。当時ガチガチに管理された企業勢が多い中、にじさんじは放任された事で発揮される個々人の強烈な個性の引き出しをバックに、身内でのコラボを数多く行いグループとしての楽しみ方、箱という概念を界隈に広く普及させる事となった。

今や箱はブランド化されることになり、「Vtuberだから見る」ではなく「にじさんじだから見る」という視聴の理由を作り上げた事で他所Vtuberが衰退する余波を物ともせずに快進撃を続けてきた。その要は間違いなく、月ノ美兎という一人のライバーにある。

当時から圧倒的な同時接続者数を見せて登録者を伸ばし続け、にじさんじを知っている人で月ノ美兎を知らない人はいない。彼女の登録者を箱の他のライバーに分配する流れがにじさんじというシステムの基本構造となる。

この上位のライバーの数字を下のライバーに振り分けるという構図。これこそが箱の長所であり、私が考える今のにじさんじの問題の発端にある。

上位ライバーという見方

にじさんじも100人を超え、初期から見続けていれば自ずとそこに一定の類型、パターンを見出す事が出来る。その一つが上位ライバーという見方だ。

自分の推し意識とは別に客観的に見て、にじさんじの花形は誰かと言われれば想像が付く面子というのはある程度共通しているのではないだろうか。即ち月ノ美兎のように高い同接、新規を獲得し箱の数字を牽引するライバーだ。彼らは大きなイベントや案件等で活躍したり、半ばタレントとしても大成し、登録者を伸ばし多くの視聴者数を抱える。

いちからも会社なので当然、数字やお金の話はついて回ってくるであろうし、大きな案件においては彼らの抱える集客力という名の数字は武器である。

にじさんじが日々新しい可能性を提供出来るのは主に彼らがにじさんじを支え、にじさんじに新規を引っ張って箱のファンを増やしているからに他ならないだろう。両国のライブ等で頑張っているライバーの姿を見て、自分もあの舞台に立ちたいと奮起するライバーも生まれるはずだ。
そういった流れを見てファンもまた応援したいと熱量を増して箱全体が活気付く正の循環がそこにはある。

にじさんじというコンテンツの中核にあるのは間違いなく彼らであり、今後の話の便宜上、陳腐な言い回しになるがこれを上位ライバーと呼称したい。

この上位ライバーの特徴は、自分に対しての高い期待感の自覚とその数字から逃げずに需要に応えるだけの意識の高さにある。と言うのもこれだけライバー、Vtuberが増えるとそういったタイプではなければ抜きん出る事は難しいからだ。にじさんじの箱としての人気や数字はたしかに強いが、だからこそ効果的に利用しなければ埋もれてしまう。

言ってみればこれは自分を売り出す為の自己プロデュース力の高さの話となる。運営からのサポートが乏しく放任主義のにじさんじだからこそより一層問われることになる力。この力を持つライバーを数多く生み出し、また成長を促す事は箱としての更なる成長に繋がるのは言うまでもない。

にじさんじの強みはこの柱となる上位ライバーを複数誕生させた事にあるのだが最近はそれが増えてない、固定化してないか?という疑問。

流行の転換というコンテンツ性

上位ライバーの入れ替わりが無くなることの何が問題なのか。

一つは案件やお仕事的な話。任せられるような上位ライバーが増えなければ既存の上位ライバーの負担が増していく。象徴的なのは2008年に行われたAbemaの番組「にじさんじのくじじゅうじ」。夏から秋にかけて3D化されたほとんどの上位ライバーがこの手の案件に掛かりきりになった事で普段の配信頻度が低下してしまっていた時期があった。ここで入れ替わりになるように台頭したのが元ゲーマーズの面々だ。そうして躍進した元ゲーマーズの面々が今は同じように大きな案件を任されるに至るこの流れを経て、箱としての厚みを増していく事になったのだ。

人気が下がる上位ライバーもいれば、新しくバズるライバーもいるという事そのものにしても結局はコンテンツとしての面白さの一つと見なせる。
このイナゴは何も悪いことではなく、にじさんじという箱の中で流行り廃りを循環させる事でコンテンツとしての起伏を生み出し、ライバー個人には飽きたとしても、にじさんじそのものへの飽きを抑止する効果となっているように思う。

界隈の中でもにじさんじが話題性においての絶対的な強みを得ていたのは新人の投入速度と共に流行の転換が行われるからではないだろうか。
現在、箱の抱えるファンの母数は依然として増え続ける中で、まだパイの頂点から遠く箱からの流動で伸び代があるはずの新人が伸びず、新しくバズる上位ライバーが生まれない事に私が一種の停滞を感じてしまうのはさして不思議な感情ではないだろう。

下位ライバーとの意識格差

上位ライバーが居るならばそう成らない下位ライバーも居る。数字とは重責であり、人気とは期待の高さだ。上位ライバーとは大役であり成らない方が楽な面もある。上位ライバーが増えるならば、自分がにじさんじを牽引しなくても良い。つまりは意図的に上位ライバーになろうとしないライバーという存在が生まれ得る。

上位ライバーによって増え続ける箱の母数、その期待値の高さ。それとは裏腹にライバー側は必ずしもそれに応える必要はない。

100人近くも居るのだからそれぞれにいろんなスタンスで活動をしてるのは当然だ。1期生などはここまでバズると思っておらずバイト感覚で入っていたり、中には趣味を兼ねてやってたり兼業の人もいるのだから多くは求められないのも重々承知。

しかし上位ライバーの作り上げる箱の力に甘え、あるいは自分が大成することを諦めてライバー同士での馴れ合いの居心地の良さに逃げる者たちが増え始めているのは問題だ。
人が増えたからこそ、先へ先へ行く上位ライバーとの格差は広がる。それは単純な数字だけではなくそこに付随した意識の違い。それがファンの目から見ても活動意識の差として可視化されるようになってしまっている。

上位ライバーの数が増えたからこそ、有限でしかないリスナーの視聴時間は上位ライバーを見るだけで占有される事になる。
何故ならば上位ライバーは面白く魅力的であるからだ。
   
リスナーの目は肥えて行き、当たり前だが、より面白いライバーの方へ、よりコンテンツとして魅力的な方へと人は流れる。
公然とした場ではライバー本人が楽しめればそれで良しだとか綺麗事は言うけれど、結局は自分が見て面白い魅力的なものしか見なくなっていく。  新規リスナーの配信内容に対しての基準も当然、登竜門となっている上位ライバーであるために求められるハードルも最初から高くなっている。
夢や目標を叶えるために需要や数字を意識して、ある種のビジネス的な観点で自分をプロデュース出来るようなライバーが勝者となるのは箱においても真理だろう。

そんな彼らが高い意識の元で成長を続けているのだからそれ以下のライバーが手を伸ばし同じ領域に至るには少なくとも追いつき追い越せという意識は必要となる。

それが欠けているように思う。

恵まれた箱に属している事による危機感の無さや向上心の欠如
ライバー同士での馴れ合いの増加によってファンよりもライバー同士の繋がりを優先する事が増えて個々のコンテンツ力の低下が見られるようになったと感じる。
それに伴ってより一層、自己プロデュース力が高い上位ライバーの時代が不動のものとなって来ていると感じるのだ。

次回は私がnoteでこの手の話題を公開するに至った最大の懸念材料。このライバー同士の馴れ合い意識にスポットライトを当てた考察を書きたい。

まとめ
・にじさんじの特徴的なシステムは放任主義で突出した個を生み出し、その数字を箱全体に行き渡らせるような箱の構造である。
・箱の要となる上位ライバーは自己プロデュース力が高く、新しい上位ライバーの出現や入れ替わりは箱の厚みになって飽きを抑止していた。
・現在の上位ライバーとそれ以外のライバーとで意識格差が生まれており、馴れ合いに沈んで新しい上位ライバーが生まれ難い環境になっている。

          







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?