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英語民間試験を20 年度に実施する事について (2631 字: 7 分)

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話題の英語民間試験に関してよく読まれている記事がAERAのこれみたいです。 読んだので、本文を引用しながら所感を述べてみます。なお、ぼくはこの問題に関して、ほとんどこの記事だけしか読んでいません。

僕の立場を先に行っておくと、英語民間試験の導入にはやや賛成だが、実施は文部科学省(以下文科省)として延期するか、少なくとも主要大学はボイコットして二次試験だけにしたり、可能ならば例年通りの英語試験を実施すべきーというものです。


1. 背景

文科省が20 年度から始める大学入学共通テストに英語の外部試験を取り入れるようです。英検・IELTS・TOEFLなどを利用して英語の4技能を計ります。

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【所感】
Speaking やWriting の採点を含む高度な英語教育のできる教員は特に地方の公立校などには少ないため、少なくとも短期的には、これまでよりもお金のある世帯(専門の塾に通わせられる)や教育機会の多い都心に住む人などがより有利になると思います。

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その意味で、教育格差がより拡がるとはいえ、英語教育がこれまでの文法や英文和訳(翻訳は英語力とはまた違うスキル)からコミュニケーション重視の英語教育へシフトしていくこと自体には賛成です(※ 1)。産業界からの要請もありそうですし、外部試験を使うことで国庫支出の削減にもなりそうではあります。

※1 昔は大学は研究を志す人のためのものでしたから、論文を読み書き翻訳する力こそが重要でしたが、いまでは研究職につく大卒などごく少数なので、大学教育を現実的に考えたとき、コミュニケーション重視の流れは正しいと思います。

2. 何が問題視されているのか

今年度実施の試験にも関わらず、文科省をはじめとして、準備が十分でないようで、高校教育界は混乱しています。


高校(都立西高校)教諭:

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高校生:

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民間試験団体:

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大学:

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【所感】
ここがやはり最大の問題だと思います。試験方法や教育格差・公平性についてはこの事件の本質でないと思ったので後で私見を交えながら記事中の意見を取り上げます。

見切り発車の甚だしい状態で、大勢の高校生に試験を受けさせることはやめるべきです。当然です。さらに困ったことに、柴山文部科学大臣の強行姿勢からも分かるように、20 年度の試験実施は前提となっています。僕は、これを少なくとも3 年先送りにし、現時点でわかっている問題が一定解決されてから実施すべきと思います:

・高校側への英語民間試験試験の利用に関する情報公開

・大学側の英語民間試験に対する利用法を明確にさせる

・学生に対して、少なくとも3 年以上前から事前に英語民間試験の利用法が分かっている状態にする

なんでも最初に始めるのは大変ですし、とにかく前例・実績を作りたいという意図も分かりますが、この記事だけ読むと、あまりに準備不足と思います。これではさすがに高校生が可哀想です。

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なので、文科省が英語民間試験の実施を先延ばしにしないのであれば(現実問題、先延ばししないと思っています)、国内の主要大学(※2)は、東北大学に倣って英語民間試験の利用をやめるべきです。

※2 主要大学に話題を絞ったのは、競争の少ない大学の試験では、試験制度改革の影響がそこまで大きくないだろうと思うのと、独自の英語試験を作成するコスト減をねらって、英語民間試験の利用をボイコットしない大学が多いだろうと思うからです。


3. その他の意見について

ここでは、本質的でないと思った意見や事象に関して、それを本旨で触れなかった理由とともに紹介します。

3-1. 複数の民間試験を使うことに対する公平性に関して

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【所感】
民間試験間のSCOREの標準化計算は、TOEFLやIELTSなどの有名試験ではある程度確立したものがありますし、海外の大学や大学院受験でもTOEFLとIELTSの点数が変換されて使われていたりします。違う試験ですし、内容も傾向も違いますが、最も得意とするタイプの試験問題を選んで、選択的に訓練すればいいと思っています。TOEFLやIELTSは大学教育を英語で学ぶESLスピーカーに向けて作成されていますし、TOEICは産業界での実用的な英語に特化しています。でも、それでいいと思っています。

ちなみに、TOEICの撤退に関しては4 技能を計るために2つの試験を受けなければなりませんが、そこらへんの運営に関する煩雑さから撤退したようです。英語民間試験業者からすれば、垂涎モノの需要だとは思うので、ぜひ取り入れたかったはずですが…

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【所感】
前半部は上述したとおりで、まったく違う試験を無理やり使うので、たしかに違いますが、得意なものを選べばいいと思っています。また、標準化に関してですが、すべての試験がこれに当てはまる問題があり、民間の試験業者ももちろんそれを意識して研究を重ねて試験を実施しています。

また、私見ですが、はっきり言って大学の教官は論文を読んで書くことに関してプロなのであって、人を試験するプロではありません。なので、一般的な英語力を計るタイプの試験を作成させたら、大学の教官よりも民間試験業者のほうが上だと思います。その大学の教育方針にあった英語問題を作成するというのならば話は別ですが。

3-2. 公平性の確保について

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【所感】
準備不足に関してはこの大学教員の意見に賛成しますが、僕は以下のように考えているので、準備不足以外に関しては賛成できません:
・公平性の確保は現時点で出来ていない
・公平性の担保は事実上不可能
・試験は公平でなくてもいい

世帯収入の順から子どもが高学歴になる強い傾向があることは知られています。現時点で教育機会は公平ではないですし、そもそもこれから大学で学ぶ人間の知的能力を計るための試験が、朝から晩まで机にかじりついて勉強する能力だけで図ろうとしているのも、まったく公平を欠いていると思います。ペーパーテストが公平というのは幻想です。

しかし、公平性の担保はどこまでいっても問題になるので、個人的には各大学は、欲しいタイプの人材を選ぶために、自由に試験を課せばいいと思っています。極端な話、世帯収入で受験生を振り分けてもいいと思いますし、運動能力やなんらかの方法でコミュニケーション能力を計ってもいいと思います。

少し話がそれましたが、公平生の担保は今回の問題について、あまり問題でないと思います。

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