22歳のわたし

みんな元気ですか?幸い、私はとても元気でいます。今日、生きられていることに感謝します。笑

そんなわたしは社会に出て働きはじめました。いや、思ってるより仕事って楽だわと思っているところですが、生活習慣を整えるのが本当に一番辛いです。まあでも大分、意識が付いてきているかなという感じ。

仕事を始めて、社会人として約1ヶ月半ほど経過した。みんないろんな想いがありながら、社会に出て行ったんだろうなと、そう考えるととても感慨深いところではあります。だって、数ヶ月前まではなんだかんだで自分のことを最優先にして生きてきたのに、会社のために!上司なために!なんて働いているわけなんだから、そう思うのも致し方あるまい。

わたしは最近、同じ大学出身の方やさまざまな方に業務を教わっているのだが、これまたコロナのせいで大変なんです。毎日毎日人が変わって、いうことも、仕事の手順もなにからなにまで個性が出ていて、それこそついていくのが大変である。笑 

だけれども、人の価値観や考え方を知るのが徳と感じているわたしにとっては悪いものではない。一人一人、いろいろな考えを持ちながら働くことを知ることで自分としての働き方や人生の設計を考え易いからだ。

今日はわたしの人生設計について話したいと思う。ここで一つ、皆さんに質問があります。自分のために、生きることができていますか?


この質問をすると、大概が「自分のために生きることだけじゃ成り立たないのが人間だ」とか、「そんなことはおとぎ話に過ぎない」とかネガティブな意見が飛び交いがちだと思います。

そこでわたしは自分のために生きるということの大切さを日々痛感している。口の悪い上司や仕事が適当な先輩、後輩に仕事をすぐに振りたがる先輩。

いやいや、なにに縛られてるんだろう… って、こんなに狭い世界の一体、何に縛られてるんだろうって。

自分の人生なんて何通りあって、なにが正解だなんてわからない。けれども自分の不快なものの側から離れることは何一つ間違ってないと思います。

耐えてこそ大人!とか続けてこそ社会人!みたいな風潮が常に日本文化にはあるけれど、まず嫌な思いやしたくないことをしている間はそのことに常にストレスを感じているはず。

そんなものをそばに置き続けて、自分になんのメリットがあるのか。ただただ心も体も疲弊していくだけだと思います。


もちろんお金を稼ぐためには自分を犠牲にしなければいけない部分ももちろんあると思うけれど、自分を犠牲にするくらいなら、なにに犠牲になるかもしっかりと考えていかなきゃいけないなと思っています。好きな事に犠牲を払うのか、それとも嫌なことに犠牲を払うのかは私たち次第です。



わたしはただただ音楽がしたいと思っているだけです。

#人生




※この記事は実体験に基づいたものでは一切ありません。