死んでもいいわたしが生きてる理由
わたしは昔から、いつ死んでもいいと思っている。
これは自殺願望とは異なるものでありながら、どうやら人を心配させる言葉らしいというのは、高校生くらいの時に誰かとの会話で知った。
たとえばこの瞬間、明日自分の目が覚めないと知ったとして、「そんなのは嫌だ」と思わない。むしろ、さくっと人生終わらせられていいなぁとすら思う。
「もう彼に会えなくなっちゃうから嫌だ」
「あのバンドのライブに行けなくなるのは困る」
「新作のゲームプレイしてからじゃないと死ねない」
何かしら思うことがある人が多いらしい。少なくとも自分の周りには。
どうせ生きていくなら、好きなことがある方が楽しいとわかっている。なのでゲームをしたり、美味しいものを食べに行ったり、たまに友人と行ってみたい所へ旅行したりもする。
けど、それが死にたくない理由にまではならない。
でもそんなわたしが、最近「あぁ、選べるなら生きていよう」と感じた夜があった。
それは、地元の友人が遊びに来てくれた夜の、1軒目の居酒屋での話。
適応障害になったこと、休職をしていること、それは大事な友人だけフォローしているTwitterのアカウントで公言していて、それを見て心配してくれたのだろう。馬鹿にならない交通費をかけて、会いに来てくれた。
それが嬉しくて、彼女にちょっとしたプレゼントを用意した。
色んな思いを、プレゼントと共に渡した「来てくれて本当にありがとう」その一言に込めた。
彼女は嬉しそうな顔をしてくれて、「来てよかった」そう呟いたあと、続けてこう言った。
「生きてくれてて、良かった。」
私から言うのはそれだけ、と彼女が口を噤んだ時、どうしようもなく涙が溢れた。
たった一言でわたしの思いが伝わる彼女の、そのたった一言。それだけで、選べるなら生きようと思うには充分だった。
わたしの人生は有難いことに、そうやって生と死の間でそっと生の方へ手を引いてくれる人がいる。
だからまだ今日も、死んでもいいわたしがここにいるのだと思う。
あわよくば、わたしの手を引いてくれる人達の手を、わたしも引ける存在でありますように。
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