さようならはまたあした
「もう、死んでしまおう」
そう心から考えたことのある人はどのくらいいるのだろうか。
類は友を呼ぶ、ということなのか、生まれてからのこの24年で
心の不調を訴える友人はわたしの周りには結構多く、
その中でもわたしは3人「そう」考える人を止めた経験がある。
あ、4人だ。自分自身も含めて。
多いのか少ないのかはわからないが、
そんな話を持ちかけられる存在でいられたことは嬉しく思う。
いやもちろん、そんな話が出ないのが一番幸せではあるが。
◇
「そう」考えた人が生きているのは全て、
偶然の巡り合わせだとか、運が良かっただとか、
そういうものの積み重ねなのだと思う。
もう死んでしまおうと薬を過剰摂取したけれど、
連絡が取れないことを不審に思った知人が救急車を呼んでくれた。
飛び降りようとした時に、向かいのマンションの人と目が合った。
首を吊ろうと思ったけれど家の人にトラウマを植え付けたくないと思った。
何となく、今日はやめておこう、そう思った。
そうして「さようなら」が「またあした」になったことは
何もかもが偶然で、それが1日1日降り積もって
「今日」という日に繋がっている。
どうか私の偶然も、彼や彼女の偶然も、
この先も永く、続いてくれますように。
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