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私が音楽を再び始めた理由

久しぶりすぎるnoteの更新。

色々な経緯があって今、私は音楽(主にピアノと歌)活動に取り組み始めています。

今日は、私がピアノ再び弾き始めて、丸3ヶ月経って、
やっぱ今後も注力してやっていきたいなと思えたのでnoteに残しました。

2024年1月2日、会社を辞めた

新年早々に、約9年在籍した会社を退職しました。

背景は諸々ありますが、
・仕事と育児での忙しさで自分の心身のバランスが取れなくなったこと
・育児を考慮して職種を落としたものの「これでいいのか?」感がずっと否めなかったこと
・この仕事を続けた先に「得たい未来」がなさそうと感じたこと

などなど。

なんか、しれっと退職したので、
葛藤とかモヤモヤとか全然なさそうに見えるかもなんですが笑、
自分なりにたくさん考えたし悩みました。

会社員を辞めることは、即ち学生時代から今まで積み上げてきたものを全て手放すことだと感じたし、

社会に出てから、しんどくても仕事に向き合って築いてきた経験やキャリアは何だったんだとも思ったし。

でも、まあ今となっては、
そういう葛藤を経て、手放したからこそ見えてきた景色があるので、

「何事もなるべくしてそうなってる」って前向きに捉えて
ニッコニコで毎日過ごしております。笑

なぜ音楽を選んだのか?

組織を外れて、フリーランス(個人)でやっていこうと決めてから、
最初は「1対1のセッション」形式でのキャリアアドバイザーのようなものをやろうと考えていました。

なぜなら、これまで教育業、医療人材業と、
常に「相手の人生に向き合う」ことを仕事にしてきて、
難しいことも多いけど、その分やりがいも感じていたからです。

そして、退職後にちょうど良いところに、
高校時代の友人がメンター探しをしていて、

「私にメンターやってほしい」ってことだったので、
モニターをやってもらいました。

私は、人の話を聞くのは好きだし、
傾聴は割と得意だし、向いてると思ってたんですよ。

相手の背中を押したり、
最善の選択は何かを一緒に考えて
提案していくことは割と得意だと思ってたんですよ。

で、実際にセッションをやってみた結果、、、

ものすごく自分が疲弊してしまった。笑

これは、友人が悪いわけでは全然なくて、
私が「やっと「自分の感覚」に正直になれた」んだと思いました。

会社で仕事としてしていた時は、
成果を出すためとか色んな理由を並べて

自分を擦り減らしてでも割り切ってやって来ましたが、
会社を辞めた自分には、無理でした。笑

やってみて感じたのは、もう1つしかなくて。

「メンターが何を言うか」って全然大事じゃなくて、
結局「その人が変わるかどうか」って、
「本人が『変わる』と決意できるかどうか」、だなと。

それを「相手の人生だし」と、
割り切って対応できればいいんですが、

私は優しすぎるので(←自分で言うw)、
感情移入しすぎて本人以上に考えて
答えがない分、悩んでしまって疲弊するので
セッション形式は向いてないな、と痛感しました。

10年くらいこういう仕事してきたのにな。。。
割り切るって大切なスキルだね。あはは。

「芯」にあるものを体現できる方法は1つじゃない

そんなこんなで振り出しに戻り、、、
いや、むしろ振り出しどころか、迷子になり。

退職からわずか2ヶ月で、
「なんか違う」となってしまった笑。

で、私には「自分に向き合う時間」が必要だなと思って、
一旦、仕事とか忘れて「好きなこと」やろうと。

すると、今まで「市場価値」ばかりを
追い求めていた自分に気付きました。

幼少期から今まで、
「親や他者の期待に応えられる自分」
でいたかったんだと思います。

それが誇らしかったし、
それで頑張れた自分もいるので否定はしませんが。

何だろ、周りにがっかりされたくないし、劣等感が強いので
「期待に応えられる自分」でいないと無価値だと思ってました。

だから、別に勉強はそこまで好きでもないけど、
そこそこの成績だった為に、そこそこの進学校に行くのが妥当だったし、

進学校に進んだばかりに、
「少しでも偏差値の高い大学を目指す」
のが正解みたいな、決まった未来があった。

そして大学進学をしたら、その先に就職があって、
頑張って働くことが当たり前、みたいな。
で、子どもができたら育児と両立しながら、多少無理してでも働く。

その都度、色んな「選択肢」はもちろんあったんだけれども、
その「選択肢」は、あくまで「限定された中での選択肢」
だったんだなと気づいた。

まあ、そんなこんなで、

ワーママしながら悶々していた、
「私が『なりたい自分』って本当にこれだったんかな?」

と言う気持ちに、退職を機にちゃんと向き合うことができたし、
自分の棚卸ができたので、それで良かった。

で、その時に感じたのが、なんか、次の一手を考えるときに、
一般的に言われる「キャリア」と言うものが、

あくまで「今までの延長上」や、「経験を活かして」とか、
「積み上げ」式じゃなきゃ、みたいなことに、
すごく窮屈さを感じたんですよ。私は。

別に、今までがどうであろうと、
未来に何を選んでも良くないか?

だって、価値観て変わるもんでしょ。
なんで過去に囚われたまま、未来を決めなきゃいけんのだ?

でも、生きてきた年数が長ければ長いほど、
固定観念で雁字搦めになったり、

キャリアと言う頂上のない山を登れば登るほど、
「他の山にはもう登ることすら許されない」
みたいな、動けなくなるような感覚というんでしょうか。

それがすごく窮屈だなと思ったし、
そして、自分の子どもたちが大人になる時代には、

そういう「いつでも違う山に登れる」ことが、
もっと当たり前になって、周りもそれを許容するような
文化や環境になっていて欲しいなと感じました。

今でこそ転職は当たり前にはなりましたが、
それでも経験や年齢の壁って存在しますよね。

そういうのを「企業都合」じゃななくて
個人の「なりたい自分(=自己実現)」ありきで、

企業とタッグを組む、みたいな風潮になったらいいのにな、、、。
とか壮大なことを言ってみる。笑

話は戻って、

自分の核ある、そういう「想い」みたいなものを体現する手段かつ、
自分が無理なく楽しく続けられることは何なんだろう、と模索を続けてて、

その1つは、「音楽」かもしれないな、と感じました。これは直感。

私は、クラシックピアノを6歳から高校卒業までやっていて、
そのおかげで「そこそこピアノが弾ける人」です。
うん、そこそこ。笑

勉強や部活最優先にしてきた背景には、
親の価値観も反映されてるかなとも思います。

あと「ピアニストって才能に恵まれたごく一握りの人間にしかなれない」
これは事実。

ピアニストになりたかったわけじゃないけれど、
でも、「ピアノを本気でやる」のは、敢えて避けてた気はします。

好きなことを好きって言うのって勇気がいるし、
本気でやらない分、傷つかない予防線みたいな。
ちょっとミスチルの歌詞っぽいこと言っちゃったww

あとは、「受験勉強をしてそれなりの大学に入る」方が、
安定した将来を手に入れられる確実性が高かったから、
ピアノを優先する選択肢など無い、みたいな、そんな感じ。

それが、先に出てきた
「限定された中での選択肢」なのかなと感じました。

ピアノを本気でやる選択肢は、当時の私には無かった。

私に限らず、進路選択や価値観は、
多少なりとも親の価値観に左右されるもんだと思うので、
似たような境遇の人も多いんじゃないかなと思いますが。

まあ、そんなこんなで、
やりたいことに正直にぶつかっていくのって、
応援してくれる人ばかりじゃないし、
勇気がいることだと思うし、かっこいいなと今は思います。

で、一旦ピアノを練習してみて、ストリートで弾いてみて、
「やっぱ違うな」と思ったら辞めようと思ったんです。

が、練習も何時間でもできるし、
「もっと追求したい」と思ったし、
大まかな方向性は間違ってなさそう、と今は感じています。

なので、表現方法は今の所「音楽」ですが、
表現手段はどうであれ、
「いつからでもなりたい自分になれる」
ということを体現していきたいと思っています。

人にあれやこれや言う前に、
自分で選んだ道に自信を持てるように。

それが、「いつからでも人生変えられる」ことを
一番説得力を持って伝えられるんじゃないかなと思ってるので。

まぁ、誰に認めてもらいたいわけでもないし、
自分が楽しければそれで良し!

(ちなみに漫画を描くのも好きだけども、今は休止中)

音楽でどうやって収益化していくんだとか、
具体的にどんな音楽を誰とやっていくんだ、みたいなところは
ゆるゆる試行錯誤していこうと思ってます。

とりあえず音楽仲間が欲しいなと思って、
今、一緒に働いてる人が学生時代にドラムやってたらしいから

「とりあえず太鼓の達人やってみて」と言ってるけど、
忙しくてなかなかやってくれない。こんなもんよね。わら

最後に、本日、ピアノ復活3ヶ月の記録として、
馬車道駅で「HANABI」をリベンジしてきました。
ミスしまくっててリベンジになってないw。まじ弾けない。課題山積み。練習だー。


読んでいただきありがとうございました。

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