コミティアは血潮で、光だった
強い風が顔を撫で、遥か彼方へと走り抜けていく。
草原は海原のように青々として、一面に広がっている。
かけがえのなく思える人、景色、感覚。
今このような時がずっと続けばいいと、
そう思える時間が誰しもあったと思います。
そんな一瞬のことを──自分にとって全ての話をします
阿久です、読んでくださってありがとうございます。この記事ではコミティアや創作全般について書こうと思います。
わりと毎度書いていますが…今回はちょっと学生編の最終回ということで、
よろしくお願いします。
コミティアという即売会イベントについて
さて、前回の記事でも引用させて頂きましたが、改めてコミティアについて紹介します。
何回読んでも良い文章だ……。
より具体的に言うと、東京ビッグサイトという面白い形をした大きな展示場で昼から夕方くらいまで絵を描く人たちが描いたオリジナルの本を売り買いするイベントです。
本を作るということ
さて、COMITIAの本には一般的に呼ばれる「マンガ同人誌」ではなく、開かれた読者に向けてという意味を込めて「自主制作漫画誌」という呼ばれ方がなされます。
だけど実際にはオリジナルの自主制作漫画に開かれた印象を持つことはまぁ難しいです。そもメディアのオタクへのバッシングが当たり前のように蔓延っていた30年前ならいざしらず、今やあらゆる人がTwitterやらpixivから流行コンテンツの二次創作に当たり前のように触れています。
ましてや当世の二次創作のキャッチーさと、人口に膾炙しているという点をから見ると、それら二次創作はコミティアの一次創作作品たちと比べてよっぽどオープンといえる創作でしょう。
オリジナルの作品を楽しむには書き手の作家性や、「あえて」なのか単に力量が足りないかが微妙な表現の吟味、時にはニッチなパロディといったその作品だけで完結し得ない文脈を多分に汲む必要があります。
えてして二次創作における作品や書店に並ぶ商業作品と比較された時、オリジナル作品は明快さや読みやすさについてそれらに及びません。
そういった作品に心を動かされた経験がない人にはしばしば目を逸らされ、へぇの一言で済まされてしまいます。
オリジナル作品は(ほとんど)書き手にしか開かれておらず、読み手には作品への自主的な働きかけを強要させ、消費者からは敬遠されます。
しかし、だからこそ、素晴らしいのだと思います。
日の当たらない場所で顧みられず、坐った眼でそれでも作品を創り続ける描き手たちがいます。彼らにしか描くことのできない物語と、作品があります。
作家たちは真っ暗な洞窟みたいなところでとめどない循環思考に苛まれ続けながら、ずっと先にある光を目指して描き続けています。
そうして暗闇の中で描き続けられた結果として生まれる新刊のことが、おれは好きです。
誰かと関わること
『描き手と読み手、或いは描き手同士による魂の握手』と書かれていたように、コミティアは人が作品を通じて関わり合う場所です。そこには無数の出会いと人同士の繋がりが生まれます。コミティアの肝はこの部分にあり、だけどレバーのことめちゃくちゃ好きな人もいれば嫌いな人もいますよね…。
本を作ることについて憎悪を燃やすのは時の為政者くらいですが、一方で人と関わることが嫌いな人はそれなりにいます。
そうです、人同士が出会うことは当然良いことばかりではなく、実際に人間同士の対立や軋轢は発生します。コミティアでもね……。良いことばかり書きたいものですが、これも事実です。
具体的には──……、
……角が立つのでやめときましょう。
自分にも人間関係における過ちと、それに伴う痛みがありました。
拭えない悔悟と反省を抱えて、それでも生きています。
だけど、たとえ過ちを避けられなかったとしても、
それでも、人が生きる上で、他者と関わることは血潮です。
誰かを知ってそこにしかない本を買う時、誰かが自分を知って本を買ってくれた時、そこに言い知れない有難さの熱をいつも感じます。赤く脈打つ人生の温度がそこにあります。
きらきらした全てへの讃歌
冒頭に書いた『きらきらした全て』とは、創作を通じて触れた出来事、かけがえのない一瞬の輝き、その全てです。
絵を描くこと、本を作ること、誰かと出会うこと、人との関わりから起こること。たくさんの良い出会いがあり、良いとは言い難い出来事もそれなりにありました。だけどその瞬間全てが、光に瞬いていました。
瞬く光は、眩しさの中にある記憶を呼び起こします
極めて個人的で、ささやかな思い出の中にある──
東京国際展示場の屋上で海風に吹かれていた人たちの光を、
砂浜に座って、ずっと地平線を眺めていた人の瞳の光を、
ずっと望んでいた言葉を人にかけられた、その時に輝いた心の光を、
おれは覚えています。
その明るさは、何かを創り続けようとする魂が放つ光なのだと思います。
きっとそれは、
全ての作り手の光です。
かつてその光に当てられて絵を描き始めた自分は、今もその光を抱いています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?