ぬくもり

子どもが小学生になってから、自分が小学生だったときはどうだったか記憶を探り掘り起こすことが増えた。

30年以上前の記憶なんてもうひどく適当で、当時を知る人もいないのでまぁ「良い子」だったし4年生までは「そこそこなんでも出来る子」だったという都合の良い記憶しかない。
そのため、息子の現状を見るに、発達が遅くて不安になる毎日だ。
また、その発達の遅さは自分が手をかけてやれてないせいじゃないかと思えて、申し訳なさと恐怖に襲われる毎日でもある。

どうしたらいいのかヒントがほしい時は大抵親の記憶を引っ張り出す。自分がこんな言動を取った時、彼らはどうしてくれたかなと振り返りながら、ふと他愛もないあるやりとりを思い出した。

一つ目は海外旅行に行ったことのない母に、「私が大人になったら、お母さんをどこでも連れてってあげる。フランスでもハワイでも、好きなところに連れて行ってあげる」と言った約束。

母がそれにどんな声で何と答えたのか、もう思い出すことができない。顔すらも朧げだ。ただ、嬉しそうに笑ってことだけが記憶に残っている。

もう一つ目は、「私がファッションデザイナーか画家か漫画家になっていっぱいお金稼いで、お母さんにおっきな家を建ててあげる!」と言った約束。

それに対する回答は覚えている。
「でもお嫁に行ってもお母さんの近くに住むんだよ」、だった。

結局、嫁ぐ姿どころか成人式も高校大学の入卒式も、中学の卒業式すらもみることのないまま旅立った彼女に、二つの約束を叶えてあげることはできなかった。

彼女がこの世を去ってもうすぐ25年。
その喪失による痛みは父が上塗りしてしまったので少し薄れたけれど、愛おしさと感謝で涙が出るのは今でも変わらない。思い出せばいつも涙が溢れる。

両親を思って泣く時にそばにいると、息子は決まって抱きしめてくれる。
「お母さん、泣かなくて大丈夫だよ。でも泣いていいよ」と、大人みたいな労わりの言葉をくれる。

そんなぬくもりを感じていると、勉強もスポーツもできなくていい。得意分野なんかなくても、元気に生きていてくれるだけでいい、と思えてくる。

…こんな自分はなかなかチョロいな、と思う今日この頃。

ただ、失ったぬくもりに代わる大切なぬくもりは、私を支える大きな要素なっている。

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