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ベトナム人学生との1年間を振り返る①〜講義開始から実習直前まで〜

昨年10月から1年間、夏休みなど長期休暇を除いてほぼ週1日、非常勤講師として合計30回の講義が終わりました😌

私が受け持ったのは、日本で介護福祉士を目指すベトナム人学生22人でした。

非常勤講師をするきっかけは昨年の2月。

知り合いの専門学校の校長先生からの電話でした。

「4月から介護福祉士養成課程をすることになりました。10月(後期)から『社会の理解』という科目を1年間担当してもらえませんか?」

と依頼されたのです。

施設長と相談した結果、

「近い将来、外国人介護福祉士を採用することになるかもしれない。その時に向けた準備をしよう」

という結論になり、引き受けることになりました。

ただ、私は教員としての経験はありません💦

しかも、『社会の理解』は、介護保険制度など日本の社会保障制度について学ぶ科目です。

「日本人でも理解が難しいのに、ベトナム人学生がどこまで理解してくれるだろうか…」

10月が近づくにつれて、そんな不安が日に日に大きくなってきました😣

校長先生に相談して、他の先生の講義を見学させてもらうことにしました。

教室の後ろに座り、講義が始まると…

生徒同士の私語が母国語😲

何を話しているかさっぱりわかりません。

出席をとりますが、当然、名前がカタカナ…。

フォンさん、ディムさん、タオさん…などなど。

どうやって覚えればよいのか!?😖

先生に、名前の覚え方について聞くと

「あ〜、そのうち覚えますよ」

って😅

9月中旬になると、教科書が届きまして。

驚いたのは教科書も外国人への講義を想定しており、難しい漢字にはフリガナがあること😲

90分の講義をどう組み立てるかを考えて、

講義の最後にする確認テストを作って、

いよいよ、講義初日を迎えました。

簡単な自己紹介をした後に、出席をとっていきます。

私が名前を呼ぶと、どこからか返事が…。

どこにいるかを確認しながらなので、意外と時間がかかります😣

講義をしてみてわかったのは、22人の生徒の中でも日本語の習得に差があること。

日本語の習得レベルで言えば、N2が数名、大多数がN3(N1が最も良い)。

私が話す内容を、生徒の1人が訳して皆に説明する場面もみられました。

そうかと思えば、講義とまったく関係のない話をしていたり…(数ヶ月後に仲良くなった生徒に聞いた😓)

日本語の習得に差があり、さらに講義の理解度にも差があり…。

これは日本人相手であっても同じだと思いますが、よく理解している生徒に合わせるか、理解に時間がかかる生徒に合わせるか…。

どちらに合わせても、反対のどちらかは退屈してしゃべるか寝るか😞

自分も学生の頃、講義中に寝ることがありましたが、今さらながら申し訳なかったなーと反省しました😞

それと、国民性なのか、良く言えばみんな素直。

興味がある時はどんどん質問するし、疲れていたら寝る💤

でも悪気はまったくないんですよ。

講義の最初から最後まで寝ていた生徒も、講義が終わると

「先生、寝ててごめんねー!」

と言いながら笑顔で帰っていきますから😅

講義中に寝る理由は、アルバイトでした。

22人のうち15〜16人は、病院や介護施設でアルバイトをしていまして。
(病院や福祉施設以外では、まかないのあるラーメン屋などでのアルバイト)

学校の学費の一部をアルバイトで稼ぐ学生は、夕方だけでは足りず、夕方から翌朝まで夜勤のアルバイトをしていました。

アルバイト先の施設で勤務態度が良ければ、卒業後に働くことにもつながります。

中には学校には内緒で母国に送金している学生もいました(校長先生も知ってましたからどこまで内緒なのかわかりませんが…)。

お金の価値が日本とベトナムでは10倍違うそうです。

日本円で1万円をベトナムに送ると、ベトナムでは10万円の価値になる。

学生のスカウトのため何度もベトナムに行く校長先生によると、子どもを日本に送り出したベトナムの男性(父親)は働かずに家でゴロゴロしてるんだとか…😪

一人ひとりの生徒の事情を聞きながら講義をして、2〜3ヶ月くらいたつと…。

不思議なことに、だんだんと生徒の名前と顔が一致するようになりました😉

すると、生徒も今までよりも親しみを持ってくれたように感じまして…。

少しずつ楽しさがわかってきたのが12月頃だったと思います😊

そして、短い冬休みを挟んで、介護福祉士を目指す学生にとっては必須の『介護実習』を迎えました。

長くなりましたので、その②に続きます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。