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夢が叶うということ

私は大学を卒業してから音楽を生業としてきた。でも結婚して4人の子育てや、音楽だけでは生活が厳しいので副業をしたり、なかなか本腰を入れて音楽に向き合うことは出来なかった。

主人とは音楽を通じてしりあって結婚したおかげで、環境としては、自然にいつも音楽が生活の中にあったのだろう。子供たちは、こちらから無理強いすることなく音楽が好きになっていった。
厳しく教えることもできたのだろうが、決して私はそれをしなかった。
音楽を嫌いにだけはなってほしくなかったから。
教えてと言われた時だけ、教えるようにしていた。

長女は3歳くらいから歌うことが大好きな子に育っていった。
私も、細々だけれども、鍵盤楽器を教えることと、ボイストレーナーの仕事は続けていた。
そんな中で家に習いに来る生徒さんの歌やレッスンの様子を聞いたり、ディズニーの曲は必ず英語で聞かすようにしていたので、それなりに力をつけていった。
地元のイベントなどにお誘い頂いて、私の伴奏で歌うという活動を始めた。

生徒さんの発表の場ということでkeiko’s familyと銘打って、Liveを企画した。
そこに娘も加わり、ツインボーカルやバックコーラスなどいろんな「歌う」を学び、自分から学ぼうとする力をつけていったように思う。

そんな間に、長男が3歳差で生まれ、6年空いて次女が生まれまた3歳差で三女が生まれ4人兄弟となっていた。長女と三女は一回り違う。
下の子たちも姉の音楽に取り組む姿を見ているので、自然に音楽が好きになってくれた。
三女が8歳、次女が11歳、長女が20歳の時、「黄昏ハニーズ」というユニット名で、長女がボーカルで妹たちがダンスをするという形でコンテストに出場した。初回は「キューティハニー」、翌年はGAGAのPorker faceで優勝。翌年は千本桜。また翌年はアギレラのAin’t no other man
いずれも賞を頂いた。妹は泣いてしまうほど、ストイックに練習をしていた。

このユニットは確かに華やかだし、みんなにはウケる存在だったと思う。
しかし、私は、これでは弟が参加できないし、妹たちも演奏という形では参加できていない事に少し不満を感じていた。

そんな時、私の生徒さんのLiveの時にドラムを叩いてくれてた子が、25歳にして急死してしまった。
しかも私たちの結婚記念日に…
その追悼ライブを開くことになり、ボツボツとギターを始めてた息子に、一曲だけ参加するように主人が促した。しかも、曲はあの布袋寅泰さんとCharのコラボ曲。Stereocaster。これは大変です。
日々、猛練習です。幸い、私の繋がりで、教えてくれる子は沢山いるのが救いでした。
完成とはいえないけれども、なんとか、やり遂げた彼は、Liveの楽しさをしっかりと感じたようでこれをきっかけにギターやベースを弾くようになった。

続いて、次女は吹奏楽部にに入り、サックスをやって欲しいなとやんわりお願いしたら、やってくれました(笑)
三女も同じくドラムやって欲しいな。そうすれば、バンドに必要な楽器が全て揃う。この願いは見事叶いました。
後は、それぞれが力をつけてくれるだけです。

四日市で毎年行われているファミリーコンクールというのがあるよと、いつも利用しているスタジオのオーナーが教えてくれた。
この人数で家族で参加するところは珍しいだろうと応募した
お父さんが若い時にやってたRock’n roll widowをやった。まだ三女は中1でドラムを叩くには力不足だったので、ドラムだけ助けてもらって参加した。
審査員はクラシック系の方達ばかりで、小さいお子さんも参加されている中、未亡人の曲は会いませんよねぇ  賞は頂けませんでした。でも、参加者の方達からは、すごくカッコよかったと好評頂きました。
翌年は、ほんとに家族のみでの参加。アコースティック。Eric ClaptonのTears in heavenとBeatlesのLet it be
今度こそと思いましたが、参加賞でした

そして、受験、コロナで活動できずにいたところ、今回スタジオ主催のイベントに参加させていただくことになりました。
満を辞してのLive。妹たちも、クラブで基礎からしっかり力をつけ、完全体の竹内組です。
長年の夢がやっと叶いました。
ほんとに家族のみでのバンド。充実感溢れる、楽しさ全開の本番でした。

後はこれを続けていくことが大事です
皆さん応援してください。お願いします。

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