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影にみた希望

未曾有の災害時代を迎えた日本の前に、
どうせすべてが無力だとおもっていた。

哀しむことぐらいしかできなくて、
わたしは、偶然に生きているだけで、

彼らのためにできることなどないと、
沈んでいた。


ある日ふと父と立ち寄った美術館があった。


「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」


美しい夕焼けの影絵をみた。


宮沢賢治の言葉を引いた芸術家は、
その言葉を影絵に打ちつけて、
放射能にまみれながら、

美しい誰かの故郷を描いていた。

そらは黄金色で、すすきは西陽に揺られていた。鮭は変わらず卵を産みにその川へ遡上するという。


秋の澄んだ風が絵の中にいる私の頰を撫でた。


地球は恐ろしさを増していくのに、なぜ美しい部分だけが変わらないのだろう。


その画の前に、わたしはただのひとりの非力な人間だった。


海の向こうへ、
誰かの愛する人を突然に、
二度と還らぬ人としてさらったくせに、

なぜそんなにも尊い姿で輝いていられるのだろう。
別のことばでいうと、少々憎かった。

あの日を刻みながら腐りゆく一本松。

澄んだ優しい色の魂が息吹く、
骸骨のような庁舎。

音のない雪に身をうずめ、こんこんと眠る、
朱と青の大きな漁船。


老齢の影絵作家は、その太い指としわの濃い小さな手のひらで、希望をひたすらに影に彫った。


「それでも生きる喜びを、この画から感じとっていただければ幸いである」


特攻隊として命を日の丸に捧げた級友を想い、
戦時を生き抜いた彼が綴る言葉には、
深い慈悲がきっと込められていた。


彼の厳めしくも愛と夢に溢れた作品は、
ひとつの過去との向き合い方を
わたしに示した。


わたしも生きる喜びを与えるひとになればいいのだ。単純な話ではないけれど。


わたしなりの、偶然生き抜いてしまったあの日へのもどかしさと申し訳なさと苦しみが、
ひとすじの淡い光をみた瞬間だった。


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