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どうでもいいテープ

二〇一七年六月二十五日日曜日

雨のち曇り

げんなりすると見失いそうになるけれど、チューニングをずらすと嘘みたいなホントウが黒く塗りつぶしたりしてがくんときたりする。
きのうも、わたしは口をひらいて、暮らすこの島にないものにばかり焦点を合わせて、いっちょまえそうなことを言った。
けれども、ああすばらしいがあるなあ、わたしの暮らすところにも、今というときにも、すばらしいはあるんだ、ある、と二階堂和美さんの奥行きのある声とうたを聴いて思った。お説法のようにもご近所さんとの会話のようにも聞こえるお喋り。あっさりとあっけらかんとしていて、すっと深く射す。こんな佇まいで届けられるようになることができたらどんなに素敵だろう。ひとつの手本のような方。

そして、このひともわたしのヒントのような、どこかゆくときに見つめる灯台のような彼女に会うことができて、それはとてもとてもうれしいこと。あいかわらずに凛としていて、けれども以前よりらまあるく軽やかにもみえた。
表現する手段をみつけたひと、決めたひとと会話を重ねるここ数日。じぶんのもんもんがくっきりしてゆく。そして、なにかを後押ししているようにもみえて、あたまのなか、もんもんの糸口さがすよう書き出してみるひつようがありそう。

夜ごはんは、いつかの野菜炒め、カブの葉としらすの煮びたし、ツナサラダ、カレーライス。

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