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時計をたべたトラ

二〇一七年六月二十一日水曜日



だれよりもおそく眠ったのに、だれよりもはやく目が覚める。
いるひとを選んでしまいがちなわたしと、さまざまな考えのひとがいて行き交ってそれがいいとかんがえるわたしとがこのごろ対話する。線引きを少なくしてゆきたい、と。のんさんのように。
かんがえのさまざまなひとと目が合うきっかけをつくるのは、ARTなのだろう。わたしにはなにかクッションがいるように感じていて、ARTというものに助けてもらいながら息をしていることに気がつき、もうすこし密になりたいと思う、このごろ。
ある記事を読んで、浮かび上がったこのごろのきもちを。
雨上がりの夕方、三人で公園を歩く。川には水が戻り、溢れていた。いい音だねと会話を交わす。
のんさんは長靴を履いて、水たまりをちゃぽちゃぽ歩く。しゃがんだり、尻もちついたり、スパッツもびっしょり。とても心が解放されているという様子で、呼びかけにも素直。いくつか並ぶ水たまりをかけてゆき、またもどってくる。白のつよいあかるい雲の上をはやい流れの低い濃い灰色の雲が、ぐんぐん渡ってゆく。オレンジやピンク、紫、水色反射していくつもの色が見える。「飽きないなあ」と帽さんはずっとぼんやり眺めていた。雲のいろが反射して闇をつくれそうな木々はうっすら紫ピンク。それを見ていたら、「青い闇をまっさかさまに落ちてゆく流れ星を知っている」と原田郁子さんのうたが浮かんで、唇から放っていた。そんな夕方。


夜ごはんは、ジンギスカン、冷奴、ごはん。

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