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BPMをさげるってこと

二〇一八年一月六日土曜日

はれ

お昼に駅で合流して、野生展へ向かうことになった (提案にのってくれた)。

朝話した、昨夜の室内さんとのやりとりについて「なにか変化はあった?」と聞いてくれてとつとつと話してゆく。


・これまで主体的にじぶんのやりたいことをしてこなかったというのはすこしそんな気もしていたけれど、やっぱりそうみたいだなと。「そうなのかもね」と帽さん

・いつだって誰かありきだったということ。誰かになにかをしたい渡したいというきもちが身体を動かして、じぶん自身が原動力にはならないできたというのか。それについて帽さんは「どの本を読んでも、にんげんは贈与をしたいいきものとあるよ。のんさんだって、すぐになにかあげたがるじゃない。だからそれはそれでいいんだと思う。」と。

・詩を書いているころも、なにかを伝えたいということはなくてじぶんの感性の確認をしていたと話す。だいじょうぶだ、感じられている、生きているって。

・積極的受容

・「これまでrelight committeeでいろんな実践をしてきて何か印象的だったことはあったの?」と帽さん。
町であらゆるひとに道を聞いたときにとても満たされるものがあったと話す。これまでやってきたことのなかで、書くことを中心にしてなにかactionをしようと思っていたのが全くわからなくなった。じぶんのなかに、意識には上がっていない課題があるということが見えてしまってもっとあるのかもしれない、と。

・のんさんが生まれてからバスや駅や公園で、small talkをする機会がふえて、とてもたのしくてうれしいのだ、と。

・今朝聞いたというラジオ、福岡伸一さんのmap loverとmap hayterの話を帽さんが聞かせてくれた。これまで、道順をかんがえることなく歩んできたわたしはmap hayterだ、と。

・目的のないsmall talkをくりかえすなかで、どうしてこのsmall talkに惹かれるのかを探ってみたらどうか、と帽さん。


野生展。中沢新一さんの言葉のなかには、このごろかんがえていたことたちが言語化されて、ちょこんと座っていて驚いた。とてもちいさなせかいでものごとをかんがえていたということも思う。芸術のことをかんがえると、文化へ向かってゆこうとすると、自然というものが立ち上がって足がとまる。ずっとそのくりかえし。どちらかではなくどちらも。どのようにわたしは共生することができるのか。野生はエレガントという言葉もとても頷いた。

晩ごはんは、小松菜と油揚げの煮びたし、お味噌汁、たらこのスパゲッティー。

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