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泡盛と水ぎょうざ

二〇一八年一月十六日火曜日

はれ

ぽかぽかとしてあたたかい。だれもいない原っぱをじてんしゃで横切る。

わたしの好きなこの公園は今年度から公園になり、管理されるようになった。その植物への愛のなさにげんなりして歩いていていても以前のようにふっくらしたきもちにならなくなってしまった。過剰な草刈り、落ち葉や刈られた草のない裸の土、直線ばかりみられるうつくしくない草のかたち、雑草はいることに意味はほんとうにないのだろうか。そんなもんもんが溜まってしまってどうにも落ち着かない。となりの公園に入って、木々が並ぶなかに落ち葉がほのぼの一面にあり、ざわざわが落ち着いていった。

保育園の見学でお休みしていたあいこちゃんすーさんと売店で待ち合わせをしていた。買ってきてくれたパンと焼きいも、それからあいこちゃんは焼きそば、わたしはたこ焼きを、つくえのあるベンチでたべる。「あったかいね」と何度か言ったと思う。コートも脱いで過ごしていた。

晩ごはんは、焼き餃子(日曜日の残りを焼いた)、味噌鍋(ぶた焼きつくね、丸餅、大根、白菜、しいたけ)。

仕事終わりの風邪っぴきに、餃子を焼いてくれというのも、申し訳ないので(わが家はいつも帽さんが餃子を焼く)やり方を聞いて餃子を焼く。もしかしたら、たぶん、わたしは今日はじめて餃子を焼いたんじゃないかな。帽さんはじゅうといい始めたらすぐに水をいれて蓋をすると言ってくれていた(よう)なのだけれど、言ってくれた手順をはじめから誤って、なかなか長い時間じゅうじゅう焼いた。(あれ、どのくらいでお水いれるのだっけ。)と思い 訊いてみたら 「すぐだよ」というのでいそいで水を入れて蓋をする。でもなんとなく大丈夫な感じがした。ごま油をたっぷりいれたことがよかったのかこんがりおいしく焼けた。これで、帽さんがたまには焼いてくれよという日がきても安心。

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