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メタセコイヤの視線

二〇一七年二月十二日日曜日

晴れ 北風がぴゅー

休みの日も鳴る、帽さんの目覚まし時計。目を覚ますのは、帽さんよりのんさん。

朝布団ひそひそミーティングにより、早起きしようと活動開始。布団をえいやっと出る。

鯖うどんをたべ腹ごなし。

岡本太郎美術館へ出かける。

帽さんとわたし、それぞれに枯渇していた部分を岡本太郎さんは潤わせ、思い出させてくれるぴったりのひとだった。

たとえば味噌をつくるということを、暮らしのつくる、クラフトとして行う文脈がある。一方で、アートとしてのつくるという文脈もある。太郎さんの言うところの、遊びのある生活。

このごろの課題は、思うことは、遊びのある生活ということと、味噌づくりも鍋で炊くお米も、つくるひとのみえる衣服を選ぶことも、どれもアートとしての文脈としてありたいなあということ。

生きるエネルギーをちいさくしないで、ぎゅるんぎゅるんわっはっはーとさせていたいと、メタセコイア、ぐーっとずっと視界をひろげ雲のうえをみることを忘れないようにしていないと、と思う。

帽さんもとてもおおきく頷いていた。

夜ごはんは、アボカド、玉ねぎと厚揚げともやしの卵とじ、スープカレー、ごはん。

いちどさげて、チーズ。

呪われた夢。呪われたスペシャリストが結集してつくられたねらいに沿ってつくること。それはわたしの思いなのか否かと問う。スペシャリストにたった六年勝てるわけがないことはよくわかったから、スペシャリストを超えてゆくために学ばなくては、インプットしたいと帽さんは言う。岡本太郎さんの言うように、網羅しなくては、と。

彼はもう一歩ちがう段階に入りはじめているなあ。

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