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おはなしはとつぜんに

二〇一七年四月二十五日火曜日

晴れ

坂の上、駅のほうへ行くと「だめだよ」と言ったり抱き上げて連れてゆくという頻度の多いこと多いこと。新宿や吉祥寺へ行ったときもそうだった。彼女は変わらない。きになるものはきになる。たちどまる。手をのばす。もどる。座る。さわる。舞う。歩く。駆けるように歩く。どんなところにいても彼女は彼女。いつもの公園やひと通りの少ない近所にいると、気をつけなくてはというアンテナが坂の上よりすこしマイルドになる。きもちもぽわあんと緩んでいるんだな。同じような場面でも坂の上では「だめだよ」、坂の下だと「それできるの!すごいね!」に変わる。口に出す言葉は、きもちをつくってしまう。習慣化すると性格になっていってしまう。どんなところで過ごすかは、声かけをするほうにとっても重要なんじゃないか、なんて思う。

のんさんが鳴らした鉄板。ひびくひびく、まっくらの向こう側へ。ちいさなコンクリートのトンネル。蜘蛛の�巣に、地面に、黄色としろの花びらを散らし彩っている。(入り口は花びらを飾った蜘蛛の巣リース)とかそんな招待状がだれかには届いているのかもしれない。はたまたそれは看板。にんげんには読めない言葉、目印、わかるものにはわかる入り口。夜には明かりが灯ったりして、向こう側へ集うのだ。花びらにぽとぽと水滴たらして、時にはほろ酔い。�わたしが出会っているのは朝帰りの蝶かもしれない。ちどり足のてんとう虫、通勤ラッシュ蟻の行列。彼らはどのように踊り、どのように語らうのだろう。飲屋街のお昼というようなすまし顏でこちらをみている、花びら飾った蜘蛛の巣たいようが照らす。

夜ごはんは、続・カブの葉の煮びたし、続・蒸し鶏のサラダ、ニラの佃煮、小松菜と桜海老の炒めもの、タコライス。

迷いながらすすみはじめると、時間がかかって、帰り道になってようやくこうしたらスムーズだったのかとわかる。今日はそんな日だった。けれども、だからこそ、夜ごはんの献立は思いついたのからつくりはじめて、ほうれん草のおひたしとはじめ思っていたけれど、みていたら触っていたらトマトとたべたいと思ってしまって、桜海老!とひらめき炒めものにしたのは今日のナイスはひらめき賞だった。

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