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それはただの気分さ

2018年7月9日月曜日

はれ

「ベビーカーのって いく」ということで ベビーカーとともに行く。

待ち合わせの時間と

渋谷のエレベーターのなさと

井の頭線と東横線のとおさを思いながら

でんしゃでかんがえた結果

ベビーカーを畳み、ベビーカーについている鞄にいれてななめがけして、のんさんを抱っこして早歩きするということにした。

のんさんはベビーカーを畳まれて「ベビーカー たたまない」と泣いたけれど 階段しかないから抱っこでいいかな あとでもう一度出すよということを話し、なっとくしてくれた。

ふうっと間に合った。どんぶらこと中華街に着く。

母と母の友人とお昼をいただいた。うみをみたくて、山下公園まですこしつきあってもらう。のんさんにみせたいと思ったのだけれど、うみをみられてよかったと思ったのはわたしだった。のんさんは噴水の水に触りたくて触れなくて水道で水と戯れ、うみとふねを見たけれど、「はとさーん」とあそんでいた。彼女はいつだっていつもどおり。いちねんまえのたんじょうびは葉山でうみにはいった。あの日はなつやすみみたいでほんとうによかった。

うみのちかくに暮らしたことはないけれど、うみをみる・うみにはいるということはわたしにはとてもたいせつなおおきなことなんだなと、思った。地球にいるなあというようなことを思えたり、わすれちゃいけない部分を思い出せるような、なんだか子宮に響くとでもいうような。そうして洗われるようなのかなと思う。

けれどもうみにふらっと行かないのはどうしてなのだろうとも思う。

晩ごはんは、お土産の焼売、野沢菜、冷奴、えだ豆、うどん(梅、海苔)。

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