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喫茶「甘夏」

二〇一七年六月二日金曜日

晴れ

朝早くれんらくをしてみたら、会いたかったひとたちと集えることになりそう。夕方の予定だからとのんさんとはやくにお散歩。本日は三輪車に乗って。きょうは降りたがらずにすいすい進むので隣の公園にまた来られた。木影に座って、チャーハン目玉焼きのっけのお弁当。のんさんは三輪車の足をかけるところに座ってみたりしながらあそび食べ。後ろに押して進められるようになった!と思ったら、前向きにも押している。放っておくとどんどんできるようになる。きのうもきょうも、まったいらないろになったり、コントラストがぐっとあがったりくるくる表情を変える感情的でかわいらしくてうらやましくもある女の子というような天気。はらはらとしてどきどき。

のんさんの昼寝のあいだに、あしたからの準備と日記と洗濯とグリンピースごはんを炊く。帽さんのズボンも縫えたらばんばんざい。

夜ごはんは、冷奴、ブロッコリーの佃煮、大根のごろごろ煮、あんかけロールキャベツ、グリンピースごはん。

すてきだなあ、かっこいいなあと思うその服を着る場面を思い浮かべられなくてやめた。ひとつの着方以外のかっこいい着こなしを思い浮かべられないのと素材は好きでかたちはもうちょっとと思うのでやめた。のんさんがふっと手にとったポシェットはすこしちいさいなあと思ったもののなんだかしっくりを感じてお金をはらっていた。
帰り道この選択は正しかったのかと悩んだひとつひとつのことを思い返してみる。お金をはらったそれだって安いものではない。ずっと迷った服の買う場面が浮かぶときのためにお金をつかわないという選択肢もあったのでは、どうだろうと思ったりもして。

あの憧れた服をきれいに着られるようになるのだろうか、なんて思う。このごろなんだかそういうことをよく思う。大学生のころは暗室に入って液体がとびはねて、はたらきはじめたらこどもたちと描いたりつくったりして身につけているものに色と模様がふえていった。のんさんが生まれて日々泥だらけである。汚れないようにということをどうも優先しようと思えなくて、そのときはその行為にもくもくとしていたくてそれだけであとから(あちゃあ)と思うのである。
ここで気になってくるのは、洗濯。洗濯はこれから上手になりたいひとつだなあなんて思っていたらふとつけたテレビのクレヨンしんちゃんで洗濯の奥深さをうたう白髪の男性。しろい服と色ものをいっしょに洗うなんて、と嘆いている。そうか、そうか。もう初歩からだ。

纏う服という点から未来を思う。服が汚れないわたしを想像するのがどうしてかむずかしい、と思う。それはどんなことをしているから汚れそうなのだろう。汚れることにきもちよさすら感じてそうなのだけれど、それってどんな汚れなのだろう。服とわたしと生活と仕事。

家でみつめたポシェットは、ああやっぱりあなただったよと思わせてくれてみつめるとにんまりという表情になる。日々をともにするお気に入りです。


夜中、帽さんのパジャマのズボンにあいたおおきな穴を繕う。繕うという行為はわたしのテンションをすこしあげて、なにかを調えるらしくてきもちいい。ああ、かわいい。あとまわしにしていた布オムツカバーのマジックテープに手を出したら手ごわい手ごわいでしたが、すっきり。

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