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はたをふる ゆきがふる

二〇一八年二月一日木曜日

はれとくもりとあめとゆき

どうやら、表に出るそのまえとうしろのおはなしというのか物語に興味があるんだなと。届いてほくほくしたclammbonのDVD。のんびりと家で過ごす今日に再生ボタンを押して、改めてなんというか確認した。behind the scenesを眺めながら。物語のあるところ。


actionについてぷか、ぷかとなにかが時々水面から顔を覗かせる。これまではやりたいことのそれこそ物語をかんがえてかんがえて、それでいいのかこれがいいのかと納得できるものをつくえに置いて(そうだ、そうだ)と満たしていっていた。

残したいものは他愛もなさそうな他愛もなくない話

実際にたったひとつ、お喋りを録音させてもらっただけでもわかることがあった。じぶんの心が動く話を残したいのだということ。

ことばの展示か ラジオか 

文字起こしというエネルギーはなかなかだなとひっかかる。googleによる自動の文字起こしなんてものもみつけたけれど、つづけてできるエネルギーの量というのももうすこしかんがえたほうがいいところだなと思う。ある一定量、ある一定期間の話が集まったときに、ある空間のなかで一覧できるかたちもいいのかもしれないなあとか、そのひとの声のままラジオのように届けるほうが届け方としていいのかな、などと思う。

そして

このごろ、家事と日記以外のやることがぽつぽつと、頭をきゅるきゅるさせているのか、だからかはよくわからないけれど

一過性の、どきどきしてしまう休日感のようなものを避けていて、平熱で淡々と行えることをかんがえていた。のだけれど、風呂上がりにやっぱりここでしかできないことの打ち上げ花火(というと暴力的というか語弊があるけれど)もありなのかもしれないと思ってしまった。近しいひととラジオを行うことになりそうだということと、場を持ったときにはこどもの喋っていたことなどを元に思うこと・思い出したことを日記に書こうとしていることもあり、そんなことを思ったのかな。

六本木でしゃぼん玉を吹く                     洗う 息をととのえる 吸う吐く 空を見上げる           そんな景色をつくる それぞれが思いを馳せるじかんをつくる     その ”時” というものをかんじる

あっちにこっちに揺れていやになる。ここにわたしのなかの物語はあるのかすこしだけ(溺れないように)潜ってかんがえて、どちらか決めよう。

晩ごはんは、ロールキャベツ、たらこスパゲッティー、冷奴、いしかわさんのおすそ分けのきんぴら。

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