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埃をかぶるフワフワ

今朝掃除機をかけたばかりの部屋に豚が転がっている。

掃除機を毎日かけることができるような人ってどんな心持ちなんだろうか。
それも同居人の目があるがためなどではなく、ただ自分の生活のために、自分のためだけに掃除機をかけることができるという心持ち。
強いのか弱いのかどっちなんだろう。
そもそも生活がそこそこうまくやれてると自覚できる人の心持ち、どうなっているんだろう。そんな人いるのだろうか。生活をやるの辛くない?

この豚は10代の時に友達が誕生日プレゼントにくれたもので、名前は『こうていえき』という。
プレゼントしてもらった年、家畜の病気である口蹄疫について毎日のようにニュースで流れていたのでそう呼んでいる。

人付き合いよりもぬいぐるみ付き合いを大切にして暮らしていると、自分の人間としての立ち位置がわからなくなってくる。
いっそのこと私も君たちのように無機物になれたらいいのにと語りかけながら、無機物に「なりたい」ということがもう矛盾していて、人間とはなんて勝手なんだと苛立ってくる。私は一体なんなんだろう。どういう生命体なの?

生活をこなすことが辛い、ということを最近よく考えるようになって、でも家にはぬいぐるみたちがいるし、それでオッケーと半ば無理矢理思い込んだり、これって自分の家族を持っている人とかペットを飼っている人たちが考えることに似ていたりするのだろうか。
生活辛いけど自分の大切な生き物が家にいるから頑張れる。それって素敵なことだと思いたいのはやまやまだけど、毎日掃除機かけるのはやっぱり辛いんじゃないだろうか。辛いに決まってる。

豚が埃まみれにならなくて良かったなって思う。
うそ、そんなこと思わない。私は今朝掃除機をかけることができたんだよ。すごいね。そのことを豚が転がっていたから今思い出しただけだった。
豚は無機物で、動いたり考えたり喋ったりしない。でも私は毎晩抱いて寝てるし、ゴミ箱に入れたりはできない。これってどういうことなんだろう。


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