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「いいね」の価値は

まず言い切ってしまうのですが、僕は書けない人間です。どうしようもなく書けません。じゃあ何故今、記事が書けているのかというと、それはバカだから書くことを諦めきれなかったからです。

それってあなたの感想ですよね?
なんか「書けない」ってデータあるんすか?w

はい、すいません。
別にディスるわけでも論破したいわけでもなく、普通に良い文章でした。今回はこちらの記事をきっかけに、

  • 「書けない」を「書ける」に変える方法

  • 「いいね」や「スキ」の価値

について考えてみようと思います。

「僕は書けない人間です」を論破するのは難しい

「書けない」を文字通り一文字もアウトプットできないではなく、人様に読んでいただけるような価値ある文章を書けないと解釈するなら、言葉には出さずとも密かにそう感じている方、もしかすると多いかもしれません。
書けないコンプレックスとでも言いましょうか。

そんな悩みを持つ方に「いや、こういう理由でこうだから、君は書ける人間だよ!」と論理を武器に説得しようとしても、なかなか上手くいきません。
論理は残念ながら、書けないという気持ちに対してほとんど無力だから。

理ではダメだ。理では鍵穴の入り口で引っかかる。

闘牌伝説アカギ 〜闇に舞い降りた天才〜

書けないに限らず、コンプレックスという扉は理を通さない。
いくら理を鍵穴に通そうとしても、コンプレックスを抱える本人が主観的に、勝手に作り上げた鍵穴にピタリと形を合わせるのは至難の業だからです。


「書ける」根拠はどこにある?

では「書けない」を「書ける」に変えるにはどうするか?

ここで僕自身のことを振り返ってみると、今現在、僕は自分で自分のことを「多少書ける」人間だと考えています。
書くのはめっぽう遅いけど、時間さえあればなんとか書ける。テーマによるけど、充分に資料が揃っていれば書ける。世間一般の平均と比較すると、もしかしたら多少うまく物事を説明できるかもしれない。

「なんかそういうデータあるんすか?」と問われれば、それはもう読者からの評価でしかありません。

  • SNSで「いいね」されたり、リポストやはてブによって拡散される

  • noteで「スキ」をもらったり、別の記事で紹介される

  • 書いた本に対してレビューをもらう

こういった反応がこれまで全くのゼロであれば、僕は今でも自分のことを「書ける」とは言えなかったはずです。というかそれ以前に、書くことを諦めていたでしょう。虚空に向かって何年も書き続けるほどバカじゃないから。


「書ける」を作る評価とは

ここまでの流れから、こんな仮説を皆さんに提示してみましょう。

  • 「書けない」は自分で勝手に宣言できるけれども、「書けない」を「書ける」に変えるには読者という存在が必要である

  • 「書ける」は読者からの評価によって、少しずつ獲得できる

評価とは、言ってしまえばこんなもんです。

  • この記事おもしろかった。

  • 参考になった。

  • 共感できた。

論理や説得力で扉を開こうとするのではなく、こういった取るに足らない一言コメントや、それにすら満たない「いいね」や「スキ」の積み重ねが、人に「書ける」という感覚を許していく。
書けるって多分、そんなもんなんだと思います。


「いいね」の価値は

「いいね」や「スキ」の数は、作品のクオリティに関係ないという人もいるでしょう。
おっしゃる通りです。反論の余地などございません。

他人の評価に関わらず、自分の書きたいことを書くというスタンスの人もいるでしょう。
それはそれで格好良いし、僕もそうありたいと思っています。

ただそう宣言できるのは、ある程度「書ける」人だからです。
もしあなたが書けない人間なら、格好悪くていいじゃないですか。

存分に「いいね」の数にすがりましょう。
フォロワー数の増減に一喜一憂しましょう。
書いた記事が少しでも誰かの目に付くように、サムネイルを派手に飾り付けましょう。
記事が拡散されれば、嬉しさのあまり15分ごとに閲覧数を確認して無駄な時間を過ごしましょう。
憧れの存在である誰かに媚を売りまくり、なんとか構ってもらえるよう必死で自分の存在をアピールしましょう。

書ける人になるには、格好悪く泥臭い道が案外近道なのかもしれません。

ということで、今回はこの辺で。
ああ、忘れるところでしたが……

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