メメント・モリってご存知ですか?

こんばんは。
今日も今日とて暑い日が続いていますね。
いかがお過ごしでしょうか。

さて、本日のお題ですが、皆さん
”メメント・モリ"という言葉、ご存知ですか? 聞いたことはあると思います。

Memento mori

と書き、ラテン語です。
「メメントー・モリー」という発音に近いそうです。

肝心の意味ですが、「(自分が)必ず死ぬことを覚えておきなさい」「死を忘れるなかれ」といった意味を含有した警句です。
死を直視するその言葉から、芸術作品や文学作品にも多くモチーフとされているようです。

また、かつてかのApple創業者、Steven Paul Jobsは2005年、米スタンフォード大学の卒業生へのスピーチとしてこの言葉を送ったそうです。
彼自身もこの警句を反芻しながら日々を送っていたのでしょうか。


まさに先ほど、元内閣総理大臣であった安倍晋三氏が射殺されました。
世界にこのニュースは轟き、最も銃規制が厳しい日本国においてもこのような事件が発生するのか、とニュースを見て戦慄しました。

考えてみれば当然のことではあるのですが、人は必ず死にます。生を受けたのだから。
しかしそれをひしひしと感じながら日常を送る人は稀有でしょう。
私自身、こんな記事を今書いていますが普段はそのようなこと考えもしません。

死…というものは非常に抽象的な現象だと私自身思います。
それを抽象的にしているのは我々人間自身ではありますが。

よく耳にします。「自殺だけはしてはならない」と。
なぜでしょうか。
「とにかく生きなさい、悲しむ人がいるのだから」と。

私は自殺幇助の記事を書いているわけではありません。
私も死ぬことはいけないことだと考えています。
それはこれまで私が書いた記事を見ていただければわかります。

人によって”死”の定義が異なるのでしょう。
自殺を敢行する者は、とうに心は死んでいるでしょう。
肉体の死が、絶対的な死ではありません。

皆さんは、生きていますでしょうか。
ここでの"生きている"は、そうですね、謳歌・満喫という意味です。

胸を張って生きている、と言える人は少ないかもしれません。
斯くいう私も、胸を張ってはそのようなことは言えません。

ただ、再考してほしい。

信念を、探してください。それに優劣はありません。

お金を稼ぎたい。人と繋がっていたい。本から知見を得続けたい。話したい。美味しいご飯を食べたい。
なんでも構いません。

なんなら怠惰に過ごしたいでも構わないと思います。

ただ、抑圧されながら、もしくは己で己を抑圧している方。
それは果たしてあなたでしょうか。
自分を見つけてください。それだけで色眼鏡をかけた気分になります。識別できる色彩が増えます。私は少なからずそう信じています。
また、その自分は、本当に自分か問い続けます。
その先に何かがあると信じています。


今日はいつもよりもより言葉を研鑽することなくそのまま吐き出しました。
読みにくいかと思いますが、何卒ご容赦ください。
また、私の意見が絶対正しいというわけではありません。私の定見の片鱗をお見せする記事でした。

答えがあるような、ないような記事ですみません。何かのきっかけになればと。

それでは。また。


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