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[お仕事]初めての退職 第1話

「辞める前に考えること」
「その転職必要ですか?」
「転職すべきでない人」

退職が目の前にチラつくと
一度は遭遇する検索ワード。
結論:役に立たなかった

嘘。役に立たなくはなかったけど、全てではなかった。

考えるべきは、辞めたいか辞めたくないか。

その後の生活費は。
家賃は。育休は。
辞めない方がやっぱりいいのか。
ではない。

目の前に害があったり、
自分の身体に異変が起きたら
即刻辞めることをお勧めする。
もちろん、辞めたあとの生活に
備えがあれば一番。
もらえる税金や退職金は多い方がいい。
ボーナスがもらえるまで待てたら万々歳。

でも人生何とかなるもんだ。
何とかするし。(進行形)
それに、一番大切なのは自分だと気づいた。
それと自分が毎日愚痴を言いすぎて
人にまで悪い紫色の何かをなすりつけていた。
(私はオーラ的な何かが見えるかもしれないと時々思う。)

「就活はお見合い」は間違い

仕事に悩んでいたときに
常に頭を駆け巡ったのは、
「私は正しいはずだ。」
「私は正しくないのか。」
「誰が正しいのか。」

今ならわかる。
「誰も正しいし、誰も正しくない。」
皆正しいと思うから発言するし、思う。
愚痴る。
(私は時々、「間違った。しまった。」と思ってもプライドで愚痴る。)

結局、仕事は合うか合わないか。
私の場合「人が合うか」が一番重要。
他には「仕事が自分の未来像と合うか」とか?
人によって何が一番かは違うけど。
結局合うか。合わないか。

就活で落ちる度に言われた。
「就活はお見合いみたいなもの。」
分からなくはないし救われた。
でも一つ違うのは、
一生連れ添うものではないということ。
入社して気づいた。
今時「永久就職」は美徳ではない。

新卒入社

私以外は皆中途採用だった。
私の支社では、新卒採用は初めてだった。
きっかけはゼミの先生が
その会社と仕事していたから。
酔っぱらった先輩には
「コネ入社」って言われた。
二回。私は一生忘れない。
大体、酔って人を傷つける人は
性根が腐っていると思う。

実際そうだけど。結局4年続けたんだから、
実力だろ。って今なら思う。思いたい。

頭の中での大戦争

最初は頭の中で戦ってた。
(悩んだという意味。)

直属の先輩が自分の手柄を
横取りしているような気がして
なんだかそれが、どうしても許せなかった。
今考えればどうでもいい。
それで給料が上がるわけでもない。
でも私は、社長に今後の成長目標とか言って
勝手にパワポを作ってプレゼンした。
何とかその先輩と平等になりたかった。

結果は何も変わらなかったし、
むしろそれでよかった。
それで揺らぐような社長だったら、
社内全体でパワポ大会だ。

でも当時の私の頭の中は常にそれだった。
最初の1年は「ムカつく」だけ

次の年にやっと
「悔しければやってやれ。あの人よりも偉くなろう」
と言う思考に至った。

行動に移した。

悔しいという感情

私の「悔しい」という感情は昔からすごくて、
結果、先輩の仕事をほぼ奪い取った。

先輩がもつタスクを、
それぞれ少しずつ、丁寧にこなした。
自分がやった感もプラスして。
結構強引に。 

頑張った結果、仕事は任されるようになった。
でもどこか満足できなかった。
「評価されていない」とばっかり考えていた。
そもそも誰も評価したりなんかしてないのに。

だから知らない間に身体がガチガチになって、
疲れてしまった。

第一波

精神的に辛いなーと思ったのは2018年夏。
頭の中での戦争がMAXになって、
身体も疲れた時。

私の頭は「正当評価されていない」のみ。

1ヶ月の休みを無理矢理取らせてもらって
海外に逃げた。考えることから逃げた。
貪欲な性格だからか、
やっぱり海外に行くと
毎日出歩く。好きな写真も撮る。
休みがあけた頃には、中学生からあった
肩こりのポコってなる筋肉塊が
初めて無くなっていた。
首から肩にかけてくびれた。

同じような思いをしている人が
他にも沢山いた事に気付いたのは
帰国した後だった。
無我夢中で何にも見えてなかった。

不幸中の幸い

私が幸運だったのは
旦那さんが大らかな人で、
社会人人生の先輩だったから。
愚痴を言っても一緒に盛り上がるわけでなく、
愚痴の根源をチクチク剥がしてくれる感じ。
最近見過ぎている医療系ドラマで例えると
癌の腫瘍を細い血管から地道に剥がしている感じ。
手術時間は12時間とかの地道に長時間タイプ。
一歩間違えると血がブシャーってやつ。

旦那さんの意見は、あまりなかった。
ただうなづいて聞いてくれた。
けど時々それすらムカついて
「なんか意見ないの?」って勝手に怒った。
たまに出るその渾身の濃厚な、
ほっそい、鋭利な意見が
的確過ぎて。ムカついて。
さらに喧嘩をすることもあったけど。
結局は正しかったし有り難かった。

第二波

体力的に辛いなーと思ったのは2019年初夏。
先輩の仕事をぶん取り切ったあたり。

ある程度評価されている実感できて、
グングン仕事を進めていたけど
その分仕事もドンドン増えた。
すごく。増えた。

いや、世の中的にはどうかわからない。
でも増加率が半端なかった。

そして、世に言う「自律神経失調症」になった。
自分では「燃え尽き症候群」だったとも思う。(今では)

大きい仕事が終わった瞬間に。
急だった。

正直、「鬱」とか「自律神経失調症」って
ずる休みの最後の手段だと思ってた。
ごめんなさい。

自律神経失調症

体に異常が起こった。
風邪もひかない私が。
(風邪はずる休みに使っていた。)

女性ならわかる。女の子前の荒ぶり。
あれよりひどい感情の上下運動が起こった。
高尾山と富士山って感じ。
(どっちも登ったことないけど。)

それから朝も起きれなくなった。
私の場合は金縛りに合うかんじだった。
意識は起きてるんだけど、体が動かない。
特に脚が動かなかった。

あとは三半規管がおかしくなる。
これは社会人になってから
出るようになった症状でもある。
疲れてくると、水が入っているみたいになり
耳鳴りがずっと鳴る。

喉も閉まる。
喉の通路がギューって狭められているかんじ。

「自立神経失調症」を軽視していた時はよく検索していた。
その度に、「あーまだ大丈夫か。残念」とすら思っていた。

でもいざなると、気づかなかった。
もしかして。と初めて心療内科を予約する時は、
心臓バクバクし過ぎて、心臓病になるんじゃないかって思ったし、
予約の取れなさに愕然とした。

予約取れた病院は、はっきり言うとヤブ医者だった。
みんな気をつけろ!すぐ予約取れる心療内科はヤブだ!
(偏見の塊)

ただ、その当時の私には、
体調不良の名前をつけてもらえるだけで安心した。



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