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父とおこづかい

「5,000円用立ててくれないか?」

そろそろ介護タクシーが迎えにくるという
タイミングで父が母に言う。

月に1度、それも毎月とは言えないけど
父は施設から1泊しに家に帰ってくる。
送り迎えは介護タクシーだ。

母は「向こうで何買うの?飲み物ぐらいでしょ?」
片付けをする手をとめることなく返事する。

「俺の全財産、140円」と
首から下げたポシェットを揺らす父。
小銭がじゃらら、、と音を立てる。
その音は父にあてられたBGMのようで、
余計に情けなく小さく響いた。
「タクシー料金をお釣りのないように用意したいのよ」と
まだどこそこ片付けをバタバタ続ける母。

タイミングが悪すぎる。
きっちりと時間までに決めたことをこなさないと
気が済まない性格の母に、出がけにお金のことを言うんだもの。

母が向こうを向いている間に
自分の財布からテキトーに千円札を出し、
私は父のポシェットにねじ込んだ。
「内緒だよ」

父が倒れて入院しだいぶたつ。
リハビリを続けてきて、やっと先に書いたぐらいのペースで
家に帰ってこられるようにはなった。
でも歩くことはほぼ困難。

父がいない日々の積み重なりが
母の日常となってしまっていた。
それが母のペースとして定着しつつあったのだろう。

たった1泊とは言え、父の帰宅は
母や同居する弟夫婦の生活を大いに変えるのだ。
月イチ1泊の為に、
介護ベッドやトイレ用の椅子が「ででん!」とおさまり、
それまで玄関で家族やお客さんを送り迎えしていた
わんこの人形(でかい)がリビングの奥へ追いやられていた。

母だって5,000円を出したくないわけじゃない。
父の1泊は彼女の日常に「プラスアルファなイベント」となってしまった。
でも、それを含めたその日のペースを乱されたくないだけなんだ。
母の性格「決めたタスクをきちんとこなす」をきちんとしたいだけなんだ。
(少しして今とりあえずこれだけね、といくらかを渡していた)

以前の父なら「5,000円ももらえないのかよ!!」と
けんか腰になっていただろう。
私がねじ込んだお金を見てうんうんとうなづく。
(実際に沸点の低い人で私も同じ血を引いている自覚アリ)

老いて、病んで、少しずつ何かが変わっていく。
本人だけでなく周りの人間も。
そりゃずっとおんなじ状態でいられたら素晴らしいけど、
そんな超人はいやしない。
かつて格闘家のアンディ・フグが病に倒れたときは
「あんな強い人間でも病気には勝てないんだ」って
あきらめの境地みたいなものを感じたもの。

「来月じじ(父のこと)が帰ってくるときのご飯はこれね!」
と決まったとき、
「それ食べに来ようかな」と私は笑いをとったつもりで
言ったのだけど、本当に行くつもりでいる。
父の1泊プラス私のおまけ。
おおいにペースを乱してやろうじゃないか。

あとがき・・・のようなもの

週末を利用し横浜市内の実家に行ってきました。
丁度父の帰宅の日と重なり、夏以来の再会となりました。
当初実家に行こうかな、と思ったきっかけは
なんでも「きっちりきっちり」やる母が
ずっと気になっていた案件を片付けていこうとしているように
見えたからです。
なんかなにか急いでるみたいで嫌だな、って感じたのです。

まあ、行ってみたら母に関しては心配することはなかったです。

中華街寄ったんだよ
勤めてた会社の入っていたビルはなかったよ
父の状態はこんなだったよ
みんなで寿司食べたんだよ
次は本場のカレーをテイクアウトするんだって
甥っ子が嫁さん連れて合流したよ

そんな話を自宅でご飯食べながらだんなとしたんですが、
この記事の話だけはなぜかできませんでした。
その代わり、ご飯食べたあと、わーっと一気に書き上げました。

短気だった父が丸くなったわけではないです。
弟が「ヨイショ」って言いながら介護をしているのをただ見てただけです。
こっそり父にお金を持たせながら
「自分じゃ何もできなくなっちゃったんだな」と改めて認識しました。
悲しいわけじゃないけど、
色んなところに小さな変化があって、でもどうにもならない私。
ただここに書きなぐるだけなのです。

弟が寿司をとってくれたの
父は「施設に帰ったら自慢できるな」とパクパク食べていました
甘いものは別腹!!
父チョイスのケーキはいちごがいっぱい♪

朝から気が滅入りそうな記事。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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