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宮入のない祭り

路地裏のお宮の脇に3年も
置かれたままだった小さな神輿が
今大きく揺れている。
連日様々な担ぎ手が楽しそうに担いでいる。
てっぺんの鳳凰がちぎれて飛んでくんじゃねーかって勢いだ。

表の大通りを封鎖して渡御する神輿には
それこそたくさんの人が続いていくが、
こっちにはこっちの祭りがあるってもんだ。

表と裏の違いって?
ああ、たぶん表ってのはあれだ。有益な…、
おっと、みなまで言わせるな。

祭りを打つってのは大変なことだ。
自分はそれを少しはわかっているつもりだ。
祭りを作ってくれる人がいて、その人に
「自由にやろう、楽しもう!」って言ってもらえるから
乗っかれるんだ。
「あとは責任持つ、任せろ」なんて態度で示されたらほれてまうやろ。

その代わり、やるからには本気だ。
徹底してバカを楽しむ。
真剣にふざける。
くだらないことをマジでやる。
言ってること全部同じことじゃねーか。

なんの祭りですか

ちがう、そうじゃない。
「なんのはなしですか」って話だ。

なんのはなしですか、というタグをつけて、
創作を楽しんでるってことだ。
ちっともなんのはなしかわからないって?
そう思わせたらこっちのもんよ。
「なんのはなしですか」ってきいてくれ。
そこは阿吽の呼吸が欲しい。

祭りの最中っていうのは
「ずっと祭りが続いてく」って錯覚しちまうもんだ。
でも、そんな祭りはありゃしない。

「なんのはなしですか」の祭りは終わるんじゃなく、
形を少しずつ変えていくんじゃないかと思っている。
きっとno+eの街における楽しい創作の場となり、遊び場となって定着する。
そんな場を「創作」してしまったのが
コニシ木の子さんだ。
3年という年月をかけてだ。
3年間スタンスを変えず粘る人、そしてそんな人を見つけ光を当てる人もすげぇ。

「なんのはなしですか」が自分の傍にあれば
もう創作は日常なのだ。

なんのはなしですかが日常になるのだ

え…
それでいいんですか

ええじゃないか


この小さな神輿はもうお宮には戻らない。
路地裏からのたった1人の叫びは
この先も担ぎ手をどんどん増やし、見ているものを巻き込んで行くだろう。

創作を楽しめ!もっと面白くなる。
やり方は書き手の数だけあり、全てが創作者であり自由だ。

乗っかってるだけでごめん。
でも、乗っからせてくれて
ありがとう。



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