[組織ブログ Ver.36] "聴く"というコミュニケーション力はビジネスマンの能力と比例するわけではない
「コミュニケーション力を上げる努力をしていますか?」
先日参加をした研修で、こんな言葉をいただきました。その言葉への僕の意見としては、
「そこそこしていますよ」
だったのですが、ただ僕が捉えている「コミュニケーション力」とは一線を画した内容でした。
本ブログでは、(おそらく)皆様がイメージされていらっしゃる「コミュニケーション力」とは「別の」類の話をしたいと思います。
0. コミュニケーション力とは?
そもそも、コミュニケーションという言葉自体の定義が非常に曖昧であり、広義であると思っています。一般的なコミュニケーション力の定義としては、
細かいニュアンスは別として、大きく違和感を覚える方は少ないのではないでしょうか?ここで説明をしましたコミニケーション力について、もう少し解像度を上げて説明していきたいと思います。
0-1. 話す力
コミュニケーションとは、「聞く」と「話す」に分類できます。まずは「話す」力から説明します。
コミュニケーションにおける「話す」について、たくさんの要素が存在します。例えば、
などが該当します。これ以外にも多数の要素があるかと思いますし、上記した5つの要素も、ある要素が、別の要素に「内包」されることもあるかと思います。
「コミュニケーション力」と聞いて、この「話す力」をイメージされる方は多いのではないでしょうか?特に、若手の方と話をすると、「結論から話さなければ」「論理的に話さなければ」という危機感がある方は多くみかけます。これはいわゆる「発信する力」すなわち「話す力」に該当します。
0-2. 聞く力
話を聞く、このテーマだけでもものすごく長文になりそうなのですが、端的に説明します。
「聞く」とは、僕の中では「正確に聞いた内容を理解する」です。もちろん発信している/話をしている側の「話す力(伝える力)」にも起因しますが、相手の発信している内容を正確に理解をする、これは貴重なスキルだと思っています。
相手が話をしていることを正確に理解することによって、物事も前に進みやすくなりますし、スムーズなやりとり、仕事を進めることができます。
1. コミュニケーションのトレーニングについて(話す力)
本ブログのメインテーマではありませんが、コミュニケーションにおける「話す力」のトレーニングについて、僕自身は定期的に実施するようにしています。
すごくオススメなのは、スマートフォンの「音声認識機能」を使うこと。
僕は会社の代表ですので、コミュニケーション系のフィードバックを「いただける機会」は年々減少していると感じています。もちろん、当社のカルチャーとして僕にコミュニケーション系のフィードバックを送ってくれるメンバーもいますが、20代の頃よりはフィードバックをいただく件数も減っていると思います。
そんな中、本ブログもスマートフォンの「音声認識機能」で執筆しています。自分が「話をした内容」がテキストになりますので、後から見返したときに、自分自身が話をした内容が論理的であったのか、わかりやすい内容であったのかを確認することができ、自分自身の発信内容に対してフィードバックをすることができます。
このスマートフォンの音声認識機能を使った、コミュニケーションのトレーニングを5年以上前から実施しているため、個人的にはコミュニケーションの「話す力」について自信はあったりします。
ただ、本ブログの課題提起は「聴く力」です。「聞く」と「聴く」は異なります。一般的な、辞書に書いてあるような定義もあるかと思いますが、個人的に本ブログにて伝えたい内容を表現しやすいように変換して説明を進めたいと思います。
2. 聴く力
Webで検索したところ、こういった定義のようです。
日本語的な解釈はあるかと思うのですが、個人的に本ブログで伝えたい内容に寄せた話をしたいと思います。
2-1. 聴く力について(山根解釈)
「相手の言動に対して、自分の評価(解釈)を加えずに観察することは、人間の最大の知性」
この言葉は個人的にものすごく腑に落ちています。これまで38年間生きてきて、もっと早く出会いたかった気持ちはあります。
突然ですが、皆様質問です。
今日生活をしていて、少なからず何人かの方々とコミュニケーションをとられたかと思います。そのコミュニケーションをとられた相手の「言動」に触れたときに、あなたはどのように「評価(解釈)」をしましたでしょうか?
例えば、
もしこの言葉の通り、事実であればそれは構いません。ただ、「僕は怒っています」「僕は今集中していません」と話す人は少ないのではないでしょうか?つまり、僕ら人間は、相手の言動に対して無意識的に「評価(解釈)」をしています。相手はそんなことを言っていない。事実ではないにもかかわらず、自分が勝手に相手の「解釈」をしてしまっています。
これは「聴く」という力において、少々不足感があることを指すと個人的には捉えています。
2-2. 観察をする力について
これが想像以上に難しく、かつ社会において成功してきた方、年収などに比例しない能力と僕は感じています。
「コミュニケーション力が高い」と聞くと、社会において活躍している人が持ち合わせている、そんな認識を持つ方も多いのではないでしょうか?個人的な話をすると、僕もコミュニケーション力には多少の自信を持っています。話す力、理解をする力については、そこそこあると自負しています。
ただ、この聴く力/観察する力は、一般的に認知されている「コミュニケーション力」と「全く異なる」類なのかなと感じています。これは論理的な能力だけではないところが面白いところだと思っています。38歳にして、本件のコミュニケーション力において伸びしろしかないことに少々興奮をしております。
2-3. ニーズを満たす/探る力
本項からNVCに絡めた話をします。
NVCがユニークだと思うのは、「行動」と「感情」と「ニーズ」を分類していることだと個人的に思っています。例えば、「佐藤さんが遅刻したという行動」に対して「イライラしたと言う感情」が芽生えたとしましょう。ここで言うと、
「行動」は「遅刻した」
「感情」は「イライラした」
であると思います。
一見、わかりやすい文章のように思えますが、NVCの考え方では、
「佐藤さんが遅刻した」いう「行動」に「感情」が紐付いているのではなく
自分自身の「ニーズ」が満たされていないから「イライラした」という「感情」が芽生えた
と言う考え方です(と僕は解釈しています)。
皆様は、「イライラ」と言う感情が芽生えたときに、「何のニーズ」が満たされていないことが多いでしょうか?僕自身は「配慮」「冷静」「愛情」、この3つなような気がしています。つまり、「僕自身のイライラと言う感情を芽生えさせたのは、僕自身の配慮と言うニーズが満たされなかったから」と言う考え方です。
NVCをご存知ではない方からすると、おそらく自分が佐藤さんに対して「遅刻は悪いことだよ、僕はイライラするよ」と声をかけるかもしれません。一方で、NVCをご存知である方からすると、「あ、自分自身の配慮と言うニーズが満たされていないから、自分の感情がネガティブに動いているのか」というアプローチができます。もちろん佐藤さんが遅刻したと言う事実はネガティブなことではあるかと思うのですが、自分自身の感情は「相手」が動かしてるわけではなく、「自分自身のニーズ」が満たされたらポジティブ、満たされなければネガティブ、そのように感じることができることが良いと言う理解でおります。
少し別の角度の話をします。
僕がこれまで仕事やプライベート問わず出会ってきた方々の中で、山根とは「性格」が異なる人はたくさんいらっしゃいました。いわゆる価値観や性格が異なる、という表現がわかりやすいかもしれないのですが、ただ本当に違うのでしょうか?
こんなことがありました。
当社の組織改革ワークにおいて、自分の内面にアプローチすることがあるのですが、「自分のニーズは愛情だ」とあるメンバーが言っていました(Aさんとしましょう)。ちなみに、山根の最も深いニーズは「愛情」です。ただ、Aさんは山根とお互いの価値観や性格がそこまでマッチしていないとは感じていました。ただ、仕事はうまく笑顔で続けてきたつもりです。ここでの気づきがあったのですが、僕とAさんは「愛情」と言うニーズが「満たされなければ」お互いそれぞれの「感情」が生まれ、お互いそれぞれの「行動」をする。ここで生まれる「感情」は、僕とそのメンバーで全く別な「感情」が生まれており、そして全く別の「行動」をとっていた、そんなことがわかりました。
人間は、目の前にいる相手の「行動」しか見えません。相手の「行動」から相手の「感情」を推測します。それを無意識的に繰り返しています。何を申し上げたいかと言うと、自分が「わかり得ない」と思った相手と「同じニーズ」であったと言うのは、よく発生する事象で、「分かり合える」と言うのは「価値観」を指すのではなく、「ニーズ」に寄せた話をすると良いのかなと個人的に思ったため、事例ベースでお話しさせていただきました。
2-4. コーチング/セラピーの力
前項までは「自分」に焦点を当てて参りました。次は「相手」の内面についても触れます。
相手にも「ニーズ」が存在します。ただ、NVCをご存知でなければ、「自分の感情が動いたのは、相手の行動が起因している」と無意識的に思い込んでいることが圧倒的に多いと個人的には思っています。
ここでいうコーチング/セラピーと言うのは、相手の感情が、仮にネガティブに動いていたときに、「何のニーズ」が満たされなかったのかをコーチしていくイメージです。僕個人的にはNVCのプロフェッショナルでは無いのですが、会社のメンバーとの内面にアプローチする際に、NVCのフレームワークには大変お世話になっています。
感情の起伏が激しいメンバーはいます。むしろ、僕自身も感情が溢れやすい人間だと認識しています。感情の起伏は自分をポジティブにもネガティブにも疲弊させると思います。ポジティブな面で言うと、嬉しい/ワクワクすると感じやすいでしょうし、ネガティブな面で言うと、イライラする/悲しいと感じやすいと思います。
そんな中で、人間関係や組織の相談が僕のもとに渡ってくるのは、大抵ネガティブなことが多く、そのネガティブな事象に対して、論理的に相手を押し付けるようなコミュニケーションもできたりはするのですが、根本的な解決にはもちろんなりません。その際に、NVCの「ニーズ」へのアプローチはものすごく有効であると個人的にも考えています。
コーチング/セラピーを実施する場合、自分自身のニーズを明瞭にする必要があるでしょうし、自分自身の感情が動いたときに、相手の行動ばかりに目が行くのではなく、自分のニーズが満たされた/満たされていない、に着目できる。
そして、「相手」と言う変数があったときに、僕個人的には自分の事例よりも相手の事例の方が割と冷静に向き合うことができます。と言うイメージです。
2-5. 仲裁の力
お互い感情的になっている二者との仲裁を、NVCを使ってアプローチできる力。これは個人同士もありますし、チーム同士、グループ同士、事業部同士、会社同士と言う場合もあります。
少し遠回りをした説明をします。僕は会社の代表であるため、個人同士で言い争いになってしまったときに、僕に判断を仰ぐ場合があります。ここで、第三者的に「合理的な」ジャッジは簡単にできます。仮に言い争いが起きてしまったときに、お互いの主張がぶつかり合うかと思うのですが、お互いは「〇〇の要素を優先するのであれば、自分の意見が合っている」と言う。例えば佐藤さんと鈴木さんが今日のお昼ご飯で何を食べるのか、と言う点において言い争いをしているとしましょう。(わかりやすい事例でチープな話ですみません)。佐藤さんはお肉を食べたい、鈴木さんはお魚を食べたい、そんな主張をし続けています。なぜならば、佐藤さんは昨日お魚を食べたからお肉を食べたい、鈴木さんはなんとなく体調が悪くお肉のような重いものを食べたくなく、お魚を食べたい、そうしましょう。
この場合は、「昨日食べたものを食べたくない」と言う要素と「体調」と言う要素の主張をお互いしている、そう捉えることができます。お互いが言ってる事は理解できます。ただ、佐藤さんと鈴木さんが主張したい「要素」を第三者的に捉えると、例えば「マズローの6段階の欲求」と言う要素を加える、「体調」の方が優先順位が高いように見えます。佐藤さんは「昨日食べたものを食べたくない」と言う自分自身の都合だと思うのですが、鈴木さんは「体調」と言う人間にとってものすごく重要な要素であると言えるため、鈴木さんを優先してみては?となります。
わかりやすいように「体調」についての話をしましたが、言い争いになるときは、どのように「合理的に」判断をするのか、と言う相談が多い中で、自分自身(第三者的に)が何か合理的な要素を加えると、問題なく解決できることが多いと感じています。
一方で、「合理的に」物事を解決したとしても、納得感が生まれない場合はものすごく多いと感じています。もちろん、「信頼している〇〇さんが決めたことであれば、信じて動く」と言う温かいフィードバックをいただくこともあるのですが、100%納得しているかと言うと、そんな事はないと思います。
そんな中、この場合にもNVCを用いると全く別のアプローチをすることができます。
前述した事象(問題)について「感情」が伴っている場合、合理的な判断に否定的な意見を持ってしまいがちになると思っています。おそらく、対立(と表現しましょう)をしている二者間において、ネガティブな感情が生まれています。なぜネガティブな感情が生まれたのか?それは相手方の「行動」が起因している可能性が高いです。ただ、「感情」が生まれたのは「ニーズ」が満たされていない、と言うNVCの考え方において、二者間において対立している感情を紐解くために、双方における「行動」のみにスポットを当てると、対立の解消はほぼ難しいと思っています。なぜならば、「どちらが悪い」と言う尺度は、「行動」によっては図ることが難しいからだと思っています。
少し話は飛躍しますが、これは人間の「認知の歪み」にも関係してくると個人的に思っています。例えば、「社長が無表情で、足を揺すりながら仕事をしていた」と言う「行動」を見た佐藤さんと鈴木さんがいたとしましょう。佐藤さんは「社長は冷静に仕事をしている」と解釈し、鈴木さんは「社長はいつもイライラしている」と解釈したとしましょう。この場合「同じ事実」を鈴木さんと佐藤さんが見ていたとしても、「解釈」の角度や尺度が異なってきます。本事例の場合、同じ「事実」を佐藤さんと鈴木さんが直面したとしても、解釈の角度や尺度がずれる中で、二者間における対立については、「双方の異なる行動」をそれぞれ解釈をして、ネガティブな感情を発生させていると思い込んでいます。
何を申し上げたいかと言うと、本項における二者間の対立については、「双方の異なる行動」にスポットを当てた議論になりがちだと思うのですが、「行動」にスポットを当てたとしても、前述した理由から、「わかりあえない」と言うことが発生すると個人的には考えています。
話を戻して、対立をしている二者間において「ニーズ」を加えてみます。お互いの「異なる行動」に対して「ネガティブな感情」が生まれている。ただ、お互いが「ネガティブな感情」が生まれたのは、お互いの「何のニーズ」が満たされていないのか?とアプローチしてみる。個人的にこのアプローチをしてみると、「二者間それぞれのニーズ」が同じであった、もしくは近しかった、と言う結論に至ることが多いです。前項で、僕とメンバーの事例を話しました。僕とメンバーは価値観や感情の持ち方、感情を表現する行動は真逆のような関係性でしたが、そのネガティブな感情を生んでいるニーズが「同じ」であることを知ってから、僕自身は「分かり合える」ようになりました。そのような仲裁ができる人材と言うのは、ものすごく「コミュニケーション力」が高いと個人的には最近感じています。
2-6. 当事者の葛藤を紐解く力
これまでは、相手やチーム/組織について、自分が第三者として関わる、と言う類の話をしていました。ただ、これまで事例ベースで説明した内容に「自分」と言う要素が変わると、全く違う景色になります。
例えば、先ほど佐藤さんと鈴木さんの事例をお話ししました。この事例が佐藤さんと自分だったらどうなるのか?もしくは、対立している二者間において、自分自身がその当事者であれば、どのような感情が生まれるのでしょうか?
個人的にも、自分の感情への向き合い方には、日々苦労しています。メンバー同士の仲裁に入ることが度々ありますが、冷静に物事をジャッジする癖はついてきました。ただ、自分自身が当事者である場合は、冷静さを欠くこともあります。
個人的には、自分の感情を大きく揺さぶるような相手の言動を体験した事は度々あります。特に、自分が愛情をかけていた相手が、自分の枠組み(予想)外の言動を起こした場合、僕の感情はポジティブにもネガティブにも振れることがあります。これは誰しも当たり前のことながら、頭でわかっていても、感情の整理がつかない、そんなことがあるかと思います。
個人的に手応えを感じているのは「保留」をすること。自分が当事者である場合、相手や相手のチーム、相手の組織などを論理的に「勝ち負けがつくような」ディスカッションをする事は可能です。これはいわゆるロジカルシンキングや、ディスカッション力の類になると思います。合理的な理由をつけて、相手を言いくるめる、そんなイメージかもしれません。ただ、38年間生きてきて、相手の「感情」が伴う題材において、合理的な勝ち負けを創出すること自体の価値がそこまで高くないと感じています。
どういうことかと言うと、仕事において合理的に判断をしなくてはならない場面は多数あります。これは、自分自身の能力や経験値、直感などを信じて、合理的なディスカッション(議論)をすべきだと思います。ただ、相手の価値観や感情を大きく揺さぶるような事例においては、合理的なディスカッション(議論)が通用しない、いや言い換えると、最終的な納得感を創出することができないと日々感じています。
前述しましたが、自分が信頼しているメンバーの言動において、自分の枠組み(予想)外の言動が起きた場合については、僕自身の感情が大きく揺さぶられます。この際に、どうしても感情的になってしまい、「自分らしくない」言葉を放ってしまう可能性が高いです。すぐに冷静になれれば良いのですが、そんなに僕も強い人間ではありません。ここは日々トレーニングしてるのですが、自分自身が当事者である場合、感情を表に出したり、もしくは感情を心の内に押し殺すようなことをしたり、気にしないような雰囲気を出したり、後から悶々とそれについて考えたり、と言うのは個人的にも精神衛生上良くないと思っています。
話が長くなりました。
自分自身が当事者である場合、感情を大きく揺さぶられる事象が発生した、その場合はNVCにおける「ニーズ」の何が満たされていないのかを瞬時に把握し、ただ「瞬時」と言う言葉を使いましたが、おそらく瞬時に冷静になれる事は多くは無いかもしれません、その際に、「保留」と言う行為を行うことによって、一旦そのまま冷静に見ることができる。そして「自分らしく」いられるようになる。
この文章を書いて気づいたのですが、僕自身は「当事者の葛藤を紐解く力」と言うコミュニケーション力については不足があると反省しました。ただ、反省をしたとしてもできるようなことでは無いかもしれません。そのため、日々意識しながら、相手からフィードバックをいただきながら、自己前進していければいいかなと思っています。
では、本ブログはこのへんで。
最後に
皆さんいかがでしたでしょうか。
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