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あつ森日記

・1日目

土曜日の夜に、急にどうぶつの森が欲しくなってしまった。
僕自身、わりとミーハーな性格であるため、信頼できる人が「おもしろい」と言っていたら、すぐに買ったりしてしまう。
けどこれを、僕はけっこう意識的にやろうとしていて、つまりそれは、素直であることの訓練だと思っている。
誰かに言われたことを受け付けるのは、意外と難しい。
それが、自分の核と繋がっていることなら特に。
だから、受け入れられる部分なら、受け入れておこうと思っているわけです。

そして、誰かが「おもしろい」って言ってるものは、だいたいおもしろい。
その人の人生を編集してオススメしてくれているわけだから。
もしあまりおもしろいと思わなかったとしても、「どの部分をおもしろいと思ったんだろう?」とか、「その人と自分の違い」とかを考えていったら、それはそれでおもしろい。

あとはもう、どうぶつの森を単純にやりたくなりました。
「やりたい」って好奇心を、愛でたい。
「やりたい」とか、「見たい」ものがあっても、お金があんまりないからとか、時間がないからとか、そういったことで「したい」を先延ばしにしてしまうと、好奇心はどんどんなくなっていってしまう。
そして、そのなくなってしまった好奇心は2度と戻ってこない気がする。
「子どもって、何だと思いますか?」と短期さんに聞かれたら、僕は「好奇心なんじゃないかなぁ」と答えると思う。
それは本能に近い部分であると思うし、理性を脳、本能を心で喩えるのならば、それは「心が叫びたがってるんだ」ってことなんだと思う。
松本人志が宮本茂さんとの対談で「心技体の心は、童心だと思う」って言っていたのと、たぶん同じ理屈です。
「若いころはやりたいことがあったけどお金がなくて、お金ができたころには仕事が忙しくなってできなくて、退職してお金も時間もできたころにはやる気がなくなってしまった」という好きな文章もコピペしておきます。

少し長くなりましたが、まとめると、どうぶつの森がやりたくなったので、やります、ってことです。
1日島の名前を考えて、周りの人の意見ももらって、決めました。
「ねじまきにょろろ島」でいきます。
「ねじまきにょろる島」と最後まで迷いましたが、友達に聞いたら、にょろろのほうがいいって言ったので、にょろろにします。
別にどっちでもよさそうな感じでしたが、にょろろにします。
もう一人の友達はは何が違うのかわからなかったみたいです。

というわけで、無人島生活、はじめます。
来たらトラウマになるような島をつくりたいと思いますので、できあがってきたらぜひ遊びにきてくださいね。

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・2日目

この島のどうぶつたちは、とてもやさしい。
やさしすぎるくらいだ。

ひつじの住民のテントの場所を決めるとき、
ひつじがテントを立てようとしていた場所が
僕のテントの位置とすごく近かった。
僕はそれがすこし嫌だった。
この狭い島で、住む場所が近いということは、
仲がよかったら楽しいと思うけれど、
仲が悪くなったらちょっとキツいな、と思った。
この島に長い期間いるのだとしたら、
ちょうどいい人間関係を築きたい。
急に仲良くなってしまうと、
急に仲が悪くなってしまう恐れがある。
最初から距離を縮めすぎないほうが、
人間関係は長持ちする。
だから、ひつじの住民と
住む場所が近すぎるのはすこし嫌だった。

違う場所にテントを立ててほしくて、
僕は「テントを立てる場所を探してあげるよ!」
と言った。
それは、すこしトゲのある言葉だったと思う。
最初から、「探してあげるよ!」というのではなく、
一回決めさせておいての「探してあげるよ!」は、
「ちょっと違う場所にしてくれない?」
という意味を含んでしまう。
だから僕は、ちょっと嫌な顔をされても
構わないと思ってその言葉を言った。
けれど、ひつじの住民は、
僕の想像を超えて大喜びした。
手を叩いて、笑いながら、
「ありがとう!!」と言った。
僕はそれに傷ついた。
すこし怖くもなった。
軽く微笑むくらいの、潤滑油としての
「ありがとう。」ならよかった。
でも、ひつじの住民は、
ほんとうによろこんでいるみたいだった。
たぶんこの感情は、
罪悪感なんじゃないだろうか。
相手を傷付ける言葉を言ってしまったのに、
相手がニコニコと笑っていたら、
嫌な顔をされるよりも、
ずっと心に残ってしまう。

せめてもの罪滅ぼしにと、
ひつじの住民さんのテントの前に、
赤いチューリップを植えてあげた。
こんなんで、許してほしいわけじゃなくて、
こうしたほうが僕の心が満足するっていう、
自己満足でやってるだけだった。

僕は、相手がいい人すぎると、
傷付けないようにとわりと神経を使う。
逆に相手が雑に扱ってくれると、
こっちもわりと雑に扱えるから、
そんなに疲れない。
「うるせえな」って言えるくらいの
フレンドリーな関係が、いちばんラクです。
基本的には、いい人のほうがいいんだけど、
すこしの「黒さ」はあってほしい。

だから、ひつじの住民さん。
そんなにいい人じゃなくていいんだよ。
いつも笑っている君の、
心は泣いているんだろうか。

いや、そんな感じでもないな。
たぶん、この世界には悪い人がいない。
だから、いい人が傷付かない。
この世界の中でだったら、
ずっといい人でいてもいいのかもしれない。

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・3日目

「てっこうせき」が集まらない。
「てっこうせき」が集まらずに、
二晩が経とうとしている。
「てっこうせき」を探して
島をうろうろしていたら、
幽霊は見つかるのに、
「てっこうせき」が見つからない。
「たましい」は虫あみで捕まえられるのに、
石をスコップで叩いても、
ダンゴムシしか飛び出してこない。
この島にある石の場所は、
もう完璧に覚えてしまった。

このゲームはしばしば、
急速にゲームが進むことを嫌う。
それは短いスパンで言うと、
「1日経たないと家が立たない」
というのもそうだし、
素材集めにしても、時間経過をしないと
これ以上集められないということもある。
どうぶつの森は「ライフ」のゲームなので、
花とか、草とか、くだものとか、
時間によって、リアリティがつくられている。
そして、いちばん
「この島に生活してる感」が出るのが、
季節の変化という大きな時間経過だと思う。
つまり、どうぶつの森の開発陣は、
1年を通じてこのゲームを
楽しんでほしいと思っている。
ひいては、1年を通じて
このゲームをプレイするのが、
このゲームを一番たのしむ方法なのである。
春の季節だけを遊んで飽きるのはもったいない。
夏の海でしか獲れない魚を釣ってほしいし、
秋の島で紅葉も見てほしいし、
冬の島で雪だるまもつくってほしいし、
お正月のイベントにも参加してほしい、
と開発陣は思っているはずである。
だから、春の島だけで
ゲームに飽きてしまうことを、
開発陣はとても恐れている。
話をすこし戻します。
だからこのゲームは、
急速にゲームが進むことを嫌う。

一般的に「熱しやすい」と
「冷めやすい」は比例します。
一生懸命を、ずっと継続することはできません。
トレードオフです。
むずかしい言葉を使いました。
鼻についてしまったかもしれません。
つまり、燃え尽き症候群です。
初日の夜の、キャンプファイヤーです。
一生懸命であればあるほど、燃え尽きます。
火力が強いほど、燃えカスは何も残りません。
最初のやる気がマンマンのうちは、
アクセルよりもブレーキを意識しましょう。
あんまり速度を出しすぎると、
燃費が悪くなって、目的地に着くまえに
ガソリンがなくなってしまいます。

ゲームだから、そんなに
一生懸命にはならないと思うけど、
1年を通して同じゲームをプレイするって、
けっこう大変なことですよ。
それはもう、「習慣」と
言っていいくらいのことです。
習慣にするのなら、
日常のルーティンに組み込むことです。
寝るまえにちょっとだけ触るとか、
ご飯食べた後にやるとか。
とにかく目に入るところに
Switchを置いておくことです。
手を伸ばしたら触れるぐらいの
位置がベストです。
引き出しにしまったら絶対にダメです。
少しでも「どうぶつの森をプレイする」
という行動が億劫にならないように、
日常のシステムに組み込みましょう。

ゲームをプレイしている時間よりも、
それについて考えている時間の方が
長いような気もするけど、
たぶん、どうぶつの森はそれでいいんです。
ゆっくりやろうと思います。
建物がたくさん建っている島を
ぼんやりと遠目で眺めながら、
「てっこうせき」をちくちく集めていきます。

あ、やっぱりゲームをプレイしてる時間よりも
考えてる時間のほうが長いってことはないです。

・4日目

家の前のチューリップが咲いたのが、
予想をこえてうれしかった。
なんでこんなにうれしいのか考えてみたら、
たぶん毎日、壊れやすいジョウロで
お水をあげていたからだ。
お水をあげて、ジョウロが壊れて、
DIYをするのを繰り返したからだ。
Do it yourselfを繰り返したからだ。
つまり、かけた労力が報われたから、
予想以上にうれしかった。

労をかければかけるほど、
報われたときのうれしさは倍増する。
だから、リオレウスの逆鱗を
剥ぎ取れたときのうれしさはひとしおで、
3ヶ月勉強して合格した電気工事士は
眠れなくなるほどうれしくて、
ずっと勉強して受験に受かったときは、
あんまり仲がよくない友だちと
抱き合うほどにうれしかった。

労に時間をかけるほどに、
実ったときのうれしさは増えるから、
チューリップも実際に育てて、
それが咲いたときのほうがうれしいはずです。
だから僕は、実際にチューリップを育てます。
たぬきち商店ではなく、ダイシンに行って、
チューリップの球根と、
壊れないジョウロを買ってきます。
そして毎日、葉っぱが光るくらい
お水をあげるのです。
そして、そのチューリップが咲いたら、
ぜったいにうれしいはずです。

あと、労を時間で測ろうとする人がいますが、
時間じゃなく回数で測ったほうがいいと思います。
どうぶつの森を2年やってるよ、が大事じゃなくて、
その2年で何回起動したかが大事なのです。
高校3年間野球をやってたんじゃなくて、
何回打席に立ったかが重要なのです。
労とは、回数なのです。
だから数えるためのカチカチを、
つねに心のポーチに入れておくのです。
心のポーチは肩から下げるか、
腰に着けるのです。
危険物は入れちゃダメなのです。

・5日目

僕の島のくだものは、りんごでした。
おばあちゃんの実家が青森で、
冬によくりんごが送られてくるので、
親近感があってよかったです。

りんごは、皮のまま食べたほうが腸に良いって、
腸活しているモデルの人が言ってました。
深イイ話の話です。
むらびとは、りんごを皮のまま食べますよね。
というか、りんごしか食べないですよね。

みんなしっているか
むらびとは
りんごしかたべない

あ、でも他の島からくだものをもらってくれば、
違うくだものも食べれますね。
でも、くだものしか食べないですよね。
釣ったイカとか食べればいいのに。
イカ刺しにしたら絶対おいしいのに。
肝と合わせて発酵させて、
塩辛にしたら絶対おいしいのに。
日本酒といっしょに飲んだら絶対おいしいのに。


これだけ食材が充実していたら、
調理がしたくなります。
なんで調理ができないんだろう。
包丁を使ってしまったら、
CERO-Aから外れてしまうのか。
オタマジャクシやクリオネを食べようとする

うーん、でも魚とかの調理って、
殺してるっちゃ殺しているからなぁ。

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やっと案内所ができました。
これで橋が作れるようになったので、
さっそく受注しました。
けど、お金が10万ベルほど足りなくて、
ぜんぜん建ちそうにないです。

にわかミニマリストもどきの僕ですが、
どうぶつの森では家具や服は極力売りたくありません。
必要のなさそうな雑草ですら、
700個近く家に置いてある有り様です。
あとで必要になったら嫌だから、
バンバン家のストッカーに放り投げてあります。

だからもう、虫と魚で稼ぐしかないです。
木の枝と鉄鉱石を持ち物に入れておいて、
捕りまくって壊れたらすぐDIYのループです。
虫とりと魚つりは飽きかけていたんですが、
稼ぐ目的があるとやる気が出ます。
ほとんど使ってなかった魚のエサを
家の倉庫から引っ張り出して、釣りまくってます。

これほど一生懸命稼いでいるのは、
どうぶつの森では初めてのことです。
人生でいえば、社会人2年目以来です。
なぜこんなに稼ぐ気持ちになったかと言えば、
「橋をつくりたい」と言う動機がちゃんとあって、
10万ベルという金額も、頑張れば届くという
ちょうどいい達成目標だからだと思います。
僕は「小さい夢が持てるといいね」と
前途ある若者に、口を酸っぱくして
言ったり言わなかったりするのですが、
言わないことのほうが遥かに多いのですが、
というか言ったことはないんですが、
そんなようなことを
誰かの受け売りですが思うのです。

夢が遠すぎると、頑張りにくい気がします。
階段を一歩ずつ登るように、
現実と夢とが繋がっていてほしい。
自分と関係ない話に興味が持てないように、
自分と地続きで繋がっていると
真剣さがぜんぜん違うのです。

・6日目

僕の島にも橋がかかりました。
これで、たかとび棒を使わなくても
川を渡れるようになりました。
でも、僕よりうれしいのは、
島の住民たちだと思います。
だって、住民たちはたかとび棒を持ってなくて、
島の奥に行けなかったんですから。

橋もそうですが、インフラというのは、
差別をなくすためのものですよね。
橋をかけることによって、
「行ける場所」の差別がなくなったわけです。

つりざおをみんなに配ったら、
「魚を釣れる権利」はシェアされるわけです。
この無人島のことだけでいうと、
つりざおを配るのが「インフラ」で、
魚の釣り方を教えるのが「教育」です。
この二つがあれば、とりあえず、みんな平等に、
魚を釣って稼ぐことができます。
魚を釣るのがすごく上手い人がいたり、
魚がいっぱいいる場所を見つけられる人がいたりして、
差が出てしまうのはしょうがない。
だけど、いっぱい魚が釣れた人は、
あんまり釣れてない人に分けてほしい、
ってことですよね。

だから、たかとび棒を持っているからって、
島の奥のりんごを独り占めするのはよくないです。
あなたのりんごじゃないわけだから。
たまたま、たかとび棒を持っていただけだから。
たかとび棒を持てる環境にいただけだから。
私有地でもないわけだし、
多少の公共の意識はあったほうがいい。
「みんなの」島ですよ。やっぱり。
島の名前は僕が考えた名前になったけど、
みんなで名前を出し合って、
賛成してもらって決めたわけだし。
木材を集めて、商店を建ててもらったけど、
僕が木を育てたわけじゃないし、
建設作業をしたわけでもない。

喩えになりますが、勉強でも、仕事でも、
「人よりすこしなにかできる」っていうのは、
「たかとび棒を持っている」くらいの
ことなんじゃないでしょうか。
はしごを持ってる人は、別の高い場所に行けるし、
泳げる人は海に行くこともできるし、
友達がいたら違う島に行けるし。
それこそ橋がかかってしまえば、
その優位性もなくなってしまうし。
たかとび棒にプライドを持ってしまうと、
橋がかかっても、ずっと持ったまま、
ってこともありそうです。

たかとび棒を持っている人は、
たかとび棒を持ってない人のことを
バカにしないようにしましょうね。
それと、たかとび棒を持ってない人は、
たかとび棒を持っている人のことを、
そんなに羨ましがらないようにしましょうね。
それは、たかとび棒なんですから。

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・7日目

次の住民のために、家具を作らなくちゃならなくなりました。
お気に入りの家具が家の内外にないと、
島に来てくれないみたいです。
僕たちはテントひとつでスタートしたのに、
ひどい違いです。
自分で作ったほうが、たのしいし愛着も湧くのに。

それでも家具を作るために、
木材を集めたり、りんごを集めたり、
天敵の「てっこうせき」を集めたりして、
いい感じに作業になってきました。

生活とは、作業の連続です。
日常生活も毎日、作業の繰り返しで、
仕事なんてそりゃあもう作業だらけです。
だったらなぜ、ゲームでまで作業をするのか。
その答えが、僕にはあります。
それは、作業が気持ちいいからです。

りんごを集めるのが気持ちいいからです。
木材を集めるのが気持ちいいからです。
雑草を抜くのが気持ちいいからです。

なぜ、その作業が気持ちいいのか。
それは、リズムが気持ちいいんです。
よくできているゲームは、
その「なんでもない作業」まで、
ちゃんと調整してあるゲームだと思います。
「生活のリズム」という言葉がありますが、
そのような感じで、作業にもリズムがあります。

リズムよくできる作業は気持ちがいいです。
それは、よくできたルーティンみたいです。
てっこうせきを集める作業だったら、
石の場所はもう覚えていて、
スコップをショートカットからすぐ出すことができて、
小気味いい間隔で石を叩いていって、
飛び出した鉱石を拾う。
それをわりと決まったルートで行う。
それを淡々と行うのが気持ちいい。

自分で、こうやったほうがいいんじゃないかな、
と考えたルーティンだから、
作業になったとしても全然嫌じゃない。
むしろ必要もないのに集めたくなってくる。
こういった、作業の大きなリズムもあるけど、
もっと小さな、小節単位のリズムの気持ちよさもあると思います。
その小さなリズムは、
リズムゲームに近いほうのリズムです。

例えば、木をしょぼいオノで叩いて木材を集めるとき、
「カン、カン、カン」と3回連続で叩いて、
出てきた木材を
「ミッ、ミッ、ミッ」と3つ連続で拾いますよね?
このリズムがすごく気持ちいいです。
音楽で言えば、三拍子のリズムです。

雑草を抜いて回るときは、
リズムよく、ポンポン抜いて回れるときが
いちばん気持ちいいです。
これは、一定のビートを刻む、
4つ打ちみたいな気持ちよさがあります。

もっと言うと、メニュー画面とかの
上下左右に動かすときとかの操作音も、
音である以上、メロディになりリズムになります。
縦に動かしたときの音と、
左右に動かしたときの音が違うと、
「お前、なかなかやるな」と思います。

誤解を恐れて断言します。
ゲームとは、リズムです。
自分に合ったゲームというのは、
自分のリズムと、
そのゲームのリズムが近いものだと思います。
それは、生活に侵食してくる、という意味も含めて。

・8日目

はしごを手に入れましたので、
高いところに行けるようになりました。
島に来たときから見えてはいましたが、
ずっと薄目で眺めているだけでした。
低い土地には生えてない花が咲いてたり、
その花に下にはいない虫が止まってたりしてて、
すごく素敵な場所に見えていました。

僕は、ゲームにおいて、
序盤で見えてはいるんだけど、
取れないアイテムとか、
行けない場所だとか、
そういうのが大好きです。
後半に「なみのり」を覚えたら
行けるようになったり、
後半の違うステージの穴から繋がってたり。
それは、伏線のようなものです。
最初に疑問を抱かせておいて、
後半で回収してカタルシスを得る。

あつ森における、「高い場所」は、
そのゲーム序盤の
「行きたいけど行けない」ジレンマを、
ぶっ飛ばしてくれるくらいの
最高でクールな場所だと思っていた。

しかし、しかし、だ、
意外とぜんぜんそんなんでもなかった。
「きく」くらいしかなかった。
ずっと待ちわびていたのに、
あんまりたいしたことがなかった。
僕はこの島の、
この季節における天井が見えた気がした。
この島の持つポテンシャルが、
だいたいわかってしまった。

持っていない人の不幸よりも、
持っている人の不幸のほうが、
ずっと不幸だと思う。
この島の場合だと、
行けない場所があったから、
その未来が素晴らしいものだと思ってしまった。
その行けない場所は、
希望とか、夢と言うこともできたと思う。
僕たちは、その不確定要素を甘く見積もりすぎる。
それは、お金だったり、結婚だったり、
就職だったり、夢だったりする。
お金持ちになったら幸せになれると思ったり、
結婚したら幸せになれると思ったり、
行きたい会社に入れたら幸せだと思ったり、
夢が叶ったら幸せだと思ったり。

その甘く見積もった不確定な希望が、
思っていた希望じゃなかったとき、
未来に期待することが難しくなる。
だから、お金がない人の不幸よりも、
お金持ちの人の不幸のほうが不幸だとも思うし、
夢が叶っていない人の不幸よりも、
夢が叶った人の不幸のほうが不幸だと思う。
だから、夢が叶わずに、
夢のために一生懸命努力してる状態が、
心の上では一番幸せな状態な気もします。

まぁ、でも、
夢が叶って、お金もあって幸せなら、
それが一番ハッピーかも。


話を大きくしすぎたので、
ぐるりと話を戻せば、
島の高いところの話です。
「登りたい」という小さな夢でしたが、
叶ってみれば、そんなにたいしたことがなかった。
期待しすぎたのかもしれません。
期待すると、裏切られたときにショックを受けるから、
あんまり期待しないようにする、ということが、
いいことなのか悪いことなのか、
僕にはまだよくわかりません。
僕はわりと、期待しない人になっています。

でも、なにはともあれ、
きくの花でリースが作れたので、
これで新しい住人が呼べそうです。

・9日目

島にエントランスをつくりました。
ほんとは、門をつくりたかったんですけど、
なかったので、ドラム缶とフラミンゴのあいだに、
「よ」を4つ並べました。
「ウェルカム!」ってことです。

門って、大事だと思うんですよ。
二つの違う世界を繋いでくれるのが、
門なんですよ。
門があると、ここからが
ねじまきにょろろ島ですよ!っていうのが
パキッとはっきりわかります。

ディズニーランドでも、
門の内側が現実で、
門の外側が夢の国です。
入り口側から見た場合です。

門みたいな、はっきり区切ってくれるものがないと、
二つの異なる世界は、
グラデーションで繋がってしまうことになります。

一瞬で、違う世界に没入したいじゃないですか。
家の門も、ここからが私の領域だ、ってことだし、
ショートコントのブリッジも、
世界を切り替えるためのものです。
地獄の門も、ちょうど境目です。
カットが切り替わったって、
わかるものがほしいのです。

ツイッターでいろんな人の島を見ていたら、
門はあるということがわかりました。
門ができたら、まず島の入り口に置きます。
その門をくぐれば、
ねじまきにょろろ島です。

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・10日目

いい感じに部屋が事務所っぽくなってきました。
あとはシュレッダーと業務用プリンタと
キャスター付のコンテナがあれば
もっといい感じになるので、
持っている人がいたらぜひください。

まぁ、違う世界のものを
どう森で再現しようとしてるわけですが、
このパターンの人はけっこういますよね。
ポケモンの世界をつくったり、
Undertaleの世界をつくったり。
まるでその世界のまんまだと、
「すごっ!」とシンプルに思えます。

これはその、再現性のすごさなわけです。
「合っている」すごさであり、面白さです。
僕はわりと絵を描くんですが、
「写真みたいな絵」がまさにそれです。
ゴールが明確に決まっているので、
再現するほうも労力をかけるほど
近づいていくのでたのしいし、
見るほうも「実際と近ければすごい」という
比べやすい価値基準があるから
とても見やすいしわかりやすいです。

だから、事務所みたいな部屋に
模倣をしているんですが、
真似することで学べたら、もっと自由な、
純文学みたいな部屋をつくりたいです。
誰も見たことが無いような部屋をつくりたいです。
岡本太郎がつくる、
「なんだこれは!」の作品のように、
情熱的で、独創的で、縄文的な、
感情の表出をしたいししてもらいたいです。

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・11日目

橋のお金を稼ぐために、魚を釣りまくる日々です。
あと8万ベルくらいです。
魚つりは、なかなかの単純作業なので、
なにかを考え事をしながら行おうと思ったんですが、
あまり集中できず、なかなか難しかったです。

雑草を抜きながら考え事をすることはできるんですよ。
でも、魚つりをしながら考え事ができないのは、
たぶん、相手があることだからだと思います。
魚はつねに動いていて、
目線の先に浮きを投げなくてはいけない。
食いつくタイミングもまちまちで、
フェイクを入れてきたりもする。
魚つりは主導権が相手にあるので、
考え事をしながら行うのが難しいです。

逆に言うこともできます。
つまり、「考えることができない」というのは、
「考えずに済む」ということでもあるのです。
失敗をして落ち込んでいるときとか、
なにか嫌なことを考えてしまうときは、
魚つりをすれば余計なことを考えずに済みます。
ゲームというのは、ここが強いメディアです。
戦争とかのトラウマ回復のリハビリで、
テトリスをやるくらいです。

僕はゲームが好きです。
一番手に汗握るメディアだと思います。
でも、思考するツールではないと思います。
テレビを見ながら考えることができないように、
ゲームをしながら深く考えることは
できないんだとわかりました。

自分で考える時間がなくなってくると、
他者の思考が流れ込んできます。
テレビを見ていたら演者の思考が流れ込むし、
ゲームをしていたらゲームの思考が流れ込むし、
本を読んでいたら著者の思考が流れ込んできます。
言葉というのは、自分の頭でもう一度、
再構築しているので、
自分で考えたと少し錯覚してしまいます。

家族といっしょに過ごしていれば、
「ああなりたくない」と思っていても、
思考が流入し、近づいていきます。
それは、そうなってしまうんだと思います。
意識高い系のセミナーに通ってたら、
意識高い系になってしまいます。
ある問題があって、賛成派と反対派がいたとして、
賛成派のグループにいたら賛成に近づくはずだし、
反対派のグループにいたら反対に近づくはずです。
それくらい、いる場所とか、話す人とか、
見るテレビとか、読む本とか、
やるゲームが大事なはずです。
絶対に影響を受けるので。
あ、だから、この文章を読んでいたら、
ほんの少しですが、僕に近づくことになるので、
近づきたくなかったら、
絶対に読まないほうがいいです。

でも、いい影響を受けることもできるので、
なりたい人がいたら、
たくさんその人の話を聞いたほうがいいですね。
僕は、ちゃちゃまるに近づきたいので、
毎日ちゃちゃまるに話しかけています。

読んでくれたらありがとうございます。 サポートしてくれてたらありがとうございます。