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「過重労働」の果てに学んだこと -その2-

コンサルティング会社に入社後
営業職では全くやったことの無い業務の連続でした。パワーポイントは営業説明以外に使ったことないし、エクセルも顧客管理以外使ったことはないし、プレゼンテーションも練習してしゃべったことなんてなかったです。

そして、ここの会社の社員の出身は、コンサルティング会社以外にも、大学院や研究職、大手企業といっても事業企画など、全く別世界でした。

私はここで、一番下のランクから入社し「ここでは虚栄は張れない」と思ったことで、時と精神の部屋に入ったと思い下積みをしようと思いました。

議事録は2枚で書いたら上司に4枚で返され何回も録音を聞き直しニュアンスを捕捉しました。パワーポイントは上司の手書きからはじめり採取的に自分で抽象的な概念を含んだ「キースライド」が作れるまで何万枚も作ったと思います。23時を過ぎてもまだ雑用が残っていたら率先してやりましたし、チームメンバーのご飯も買いに行くし、手が空くと上司にも「もう少し手伝えますか?」と声をかけました。

幸運なことに、相性の良い上司に出会い、大きなプロジェクトにジョインしたことで、みるみるうちに昇格していきました。
私はこの時、「何かダメだった自分」を救ってくれる魔法の薬に出会いました。
「仕事で評価されることってこんなに素晴らしいんだ」と感じました。

「ワークライフバランスが大事」
今は心からそう思いますが、当時の私は仕事ができない人の言い訳であるとさえ信じていました。自分のように活躍していない人をすぐには理解できませんでした。

どんなに忙しくても両親の誕生日にはディナーをご馳走していましたが、とうとう母親に「いつからそんな偉そうな子になったの?昔はもっと素直で謙虚だった」と言われる始末でした。その時の私は、「偉そう?そんなことないよ。そういう仕事してるから、そう思うだけだよ」と返し、母親の言葉にも耳を傾けませんでした。その姿勢そのものが、他者への不寛容でした。

「誉めて欲しい」という思いは、

隣のXXさんよりも、早アウトプットを出さないといけない
私の示唆でお客さんに実行してもらわないといけない
(私の案が間違ってないと言って欲しい)
夜遅くまでやらないと頑張っているふうに見えない

こんな風に私の行動を変えていきました。

マネージャー昇格以降
同じくらいのタイミングで入社した社員は2年もしないうちに辞めていきました。

オーナーが自分で立ち上げたファームなので、オーナーの能力は確かなものであると思います。しかし、理不尽な性格ではありました。

普段は、自分の不機嫌を駆使して、合理的な理由をつけて社員を呼び出し急に怒ったりしていました。オフィスには、オーナーの大きな声と皆が静かにタイピングをする音だけが響いていました。オーナーの話が始まると皆下を向いてしまい、何か感想を求められると皆「お話ありがとうございあます。仰っていただいた通り、XXの点が参考になりました。」と、前に発言した社員と内容が重複しないように気をつけながら発言していくシステムでした。

ガラス張りのオフィスとは、社員が開放的な空間で会話ができたり風通しの良さそうなオフィスを連想するものですが、うちのオフィスでは、オーナーが一人一人の社員を監視するために存在しているかのように思えました。

よって、オフィスはいつも閉塞的な雰囲気が漂っていて、ほとんどの社員が加重労働とストレスで不機嫌な態度が充満する会社でした。辞めていく社員の中に、「適応障害」「うつ病」という診断書を会社に提出していく人が一定数存在しました。

自分はまさかそんな風にはならないと思っていました。この時の私は、そのような症状や病気になることは、会社ではなく労働者に起因するもので、自分次第では避けられると本気で思っていました。つまり、そこまでして、「自分が誉められる環境」に固執し正当化ていました。

また、最悪なことに、マネージャーになったことで、支配的なオーナーに気に入られる快感を覚えてしまいました。この組織で一番、社会的地位が「上」だという理由だけで、私にとってオーナーは誉められたい対象でした。オーナーは、ご機嫌取りをしてくれて、馬鹿みたいに働いてくれる社員を欲していたのではないかと思います。私も、支配的な彼を嗅ぎ分けたけれど、彼もまた、服従的な私を嗅ぎ分けたんじゃないかと思います。

今は、誰かに誉められることではなく、自分で自分を誉めてあげ「られる」ということを確信しています。当時の私は、彼の虚像を見抜くことができませんでしたが、今、このように気付けたことは非常に学びになりました。

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