やっぱりバレるんだ。

何度も思う。始まりから一年が経過した私の高校生活だが、端的に言うと、友人関係が余り宜しくない。

中学三年生の私は、一緒の高校に行きたいという親友のことも振り切って、中学の人間が全くいない、片道90分の都会の高級住宅地に佇む、所謂伝統校に進学することを決めた。中学の人間は好きだし、選んだ高校のこと、高校の人間のことを後悔しているわけでもない。

私は自分の人間性を情けなく思っている。

高校生活で一番最初に立ちはだかる壁は宿題考査でも何でもなく、友達作りだった。なにせ一人も知っている人がいない。笑うしかない。とりあえずよく話しかけてくれた子と共に行動するようになり、友人も人数自体は沢山いるようになった。話に対してもよくリアクションするようにしたし、笑顔でいるようにしたし、ポジティブなことをなるべく言うようにした。顔の印象も良くしたくて、色つきリップを塗ったり前髪も巻いたりした。おかげで沢山の人と一度は話すというミッションはすぐに達成出来た。

でも月日が経つにつれ、自分が他の人々よりも距離を置いて、置かれて、接しているのだと気づいた。友達であることは変わりないのに、どうしてこんなに距離を感じるのだろう?私はみんなと何が違うんだろう?どうして頑張っているのにだめなんだろう?中学の頃は上手く出来ていたのに。

考えに考えた末、私は人との心理的な距離を詰めることがもう出来なくなっているのだと気づいた。小さい頃に友達になった人間との距離は小さい頃からの慣性で、近いままでいられるけれど、信頼関係を、ゼロから、今から、構築するとなるとどうだろう?出来ない。全く出来ない。思ったことを言うのは憚られると思うし、感情を表に出すのが苦手だし、人にどこまで触れていいのかわからないし、そもそもこの人は私に近づかれたいと思っているのだろうか?と悩む頭だけがよく働いた。

そしてやはり、「私という人間はこれ以上あなたに近づくことが出来ません。」と相手にもどこかで絶対に気づかれてしまう。私は自分の考えを文字以外にするのが苦手で、それも相まって自分の内側を見せることも出来ず、結局相手に「バレてしまう」。一定距離以上踏み込んでこないこちらを見て、友達も一定距離を保って接してくるようになる。すると距離が生まれる。

どれだけ笑顔を繕ってもどれだけ面白いことを言ってもどれだけ容姿に気を遣っても、それが「気の置けない友達」に出会える方法では無いのだと気づいた。

気持ちを思ったままに口に出せて、それがみんなに悪い印象を与えない人がどんなに羨ましいか。生きるのが上手いんだなと思う。

自分の気持ちは自分にさえわかっていればいい。この考えが後から後から私を苦しめてしかたない。

きっと私はこれからも人との距離を詰められないことで苦しむ。おそらくずっと。