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私のかたち

ちなヤクになってから何度も考えてることがある。「応援」することの難しさを。

私は元々10年以上アイドルのオタクをしてきて、ある日ストンと野球沼に落ちたことでちなヤクになった。

野球というスポーツほど個人の成績が明確に数値化されてるものはないと思う。

打率、本塁打数、防御率、セーブ、ホールド、守備にだって指標がある。

そして当たり前だけど選手一人一人に好不調がある。そしてかならず勝敗が付いてくる。

勝った時はファンはひとつになって喜ぶけど、問題は負けた時。

ひたすらにポジティブな言葉を綴る人、冷静に試合を分析して問題点を洗い出す人、戦犯を炙り出す人、好きな選手についての気持ちを綴る人、ファンの数だけ応援の形がある。

私はどうなんだろう。ポジティブな言葉は比較的に多い方だけどそれは心が折れないように、前を向けるように自分に対して言葉を掛けている意味合いが強いと思う。

それに、私はあくまで野球が好きでも、野球に詳しくないので過去を悔やんでも感情論でしか振りかえることができない。だったら少しでも前を向いていたい。きっと選手だって自分の問題点は反省しつつ、切り替えることに集中しているはず。


大事なのは問題点はしっかりと受け止め、次にどう活かすか。それは選手も首脳陣もファンだって一緒だと思う。


最近よく「擁護」という言葉を見る。過剰な擁護で選手に対しての考えが甘い。現実を見ろと。

でもその中で選手に対して掛けている言葉は擁護ではなく応援ではないかと私は思う。

「がんばれ」「乗り越えて」「切り替えよう」「次はできるよ」しんどい思いをしている選手やチームに対して掛けるこれらの言葉は間違いなく応援。でも自分と考え方の違うファンに対して「がんばってるんだから」「今までの活躍を見てなかったの?」と口論になることで「擁護」という言葉が出てきてしまう。

だったら私はチーム、選手に対して前向きな言葉を掛け続けたい。もちろんこの私の考えが大正義で正しいなんて思わない。でも私は野球が、ヤクルトスワローズが大好きなので、好きな物に対してマイナスな言葉は極力使いたくない。弱音を吐いてしまうことがあっても、自分の不安な気持ちよりも何倍ものプレッシャーと戦う大好きな選手の背中を押す存在でありたい。


上手くいかない時だって、絶好調の時だって彼らが戦う姿を見届けたい。自分が辛かった時に何度も彼らの戦う姿に勇気をもらってきたから。


シーズンも終盤、最終決戦。最後まで何があっても着いていくから。



これが私の「応燕」です。

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