話題の田舎暮らしチャンネルへの私見

書くかどうか本当に悩んだのだけれど、自分の中でモヤモヤとした気持ちを溜め込んでおくのは嫌なのでイヤなので書く事にする。
もしかすると時系列がおかしかったりする可能性もあることを、あらかじめ記しておく。

あまり気持ちの良い話題ではないので、そういう文章が苦手な方は、ここでそっとブラウザを閉じてほしい。



数年前、登録者数20万人を超えるYoutubeチャンネルがあった。
事業に失敗し、家も貯金も何もかもを失った貧困女性が、北海道のとある村に1人で移住し、美しい自然と田舎暮らしの様子を発信していくというコンセプトのチャンネルだった。

映像のクオリティや演者の女性のミステリアスな雰囲気とチラリズム、やり過ぎとも思われる汚部屋の異様さも相まって、その独特な世界観のチャンネルは登録者数をぐんぐんと伸ばしていった。
壮絶な過去を持ち、食事も満足にできないというその女性に対し、多くの応援コメントが動画には寄せられていた。

当初の動画のスタイルは、さまざまな場所や時期に撮影した動画と、しっとりとした優しい雰囲気の音楽、そして演者女性のナレーションが見事に組み合わせられており、その編集技術と完成度、及び音声コンテンツとしての中毒性には目を見張るものがあった。


しかしある時、とある有名テレビ番組に、この女性が出演した際の発言が炎上した。
それは、「知床の熊は優しい」「野生のキタキツネを抱っこしたことがある」というものだった。

北海道に住んでいれば、毎年必ずヒグマによって怪我をしたり命を落とした人のニュースを聞く。知床では幸い、大きな事故は起きていないが、それは知床半島を管理する知床財団の職員をはじめ、自治体職員や地元の方々の努力あってこそのものだ。
実際、人に慣れ過ぎ、危険となりうると判断された個体は、毎年のように駆除されている。
そして、その要因を作っているのは、「知床の熊は優しい」という誤った認識で近づき、餌付けし、人馴れを起こさせる観光客や一部のカメラマンたちだったりする。「知床の熊は優しい」と言いながら、彼らの命をすり減らしているのだ。

キタキツネに関しても、彼らはエキノコックスという寄生虫を持っており、糞尿や、それに触れた犬猫などから人へも感染する。潜伏期間が長く、発症時のリスクが極めて高い危険な寄生虫である。
また、ヒグマ同様、餌付けによって人馴れした個体は、人への寄生虫感染リスクを高めるばかりか、キツネ自体をも苦しめる事になる。

人の食べ物には、塩分や糖分が非常に多く含まれる。
その糖分を摂取することで野生動物は、体内の免疫力が低下しやすくなるそうだ。その結果として、キタキツネはヒゼンダニが引き起こす疥癬という皮膚病を患う個体が増加する。
この疥癬という病は、彼らにとっては致命的な病気だ。
皮膚を食い破るダニにより、猛烈な痒みと栄養失調がもたらされ、まずは尻尾の毛が抜けていく。
道内を旅していると、まれに尻尾に毛がない狐を目にすることがあるだろう。あれがまさにそれだ。
果たして尻尾を覆う毛がない個体は、厳冬期の北海道を耐えうるのだろうか。
それだけではない。次第にその症状は顔にも表れ、目元がパンパンに膨らみ目を開けていられないほど腫れ上がる。
そうして悶えるような激しい痒みに襲われながら、キツネたちは衰弱し、死んで行くのだ。

ひとつの個体でダニが繁殖すれば、同じ巣穴にいる他の個体の感染リスクも当然高くなる。かつてアイヌ語でチロンヌプ(どこにでもいるもの)と呼ばれたキタキツネは、現在その数を急激に減らしている。

観光客などによるキツネへの餌付けや触れ合いは、間違いなくこうした不幸なキツネたちを生み出している要因のひとつである。

長くなったが以上の理由で、「北海道の田舎で暮らす上で当然の知識が欠如しており、間違った行為を全国放送で発信している」として、道内外から批判の声があがったのだ。

この批判に対する訂正や謝罪などは、僕の知る限りなかったように思う。
人は誰しも間違いを犯すことはある。が、その後の謝罪や訂正の有無でその人を信じられるかどうかは大きく変わってくるように思う。
書いていて自分にも刺さる文言だ。いつの日かの誰ぞや、ごめん。

さて、この騒動から暫くして、某チャンネルの更新頻度が低くなった。

ショート動画などはあがっていたが、過去の動画の切り貼りばかりで、新規に撮影したものはなかったと思う。

そして暫くぶりに更新した動画内で、その女性はすでにその自治体を離れており、セクハラ被害や自宅襲撃事件、役場職員による自宅侵入事件などがあり、自治体の権力者により、自身が村八分になっていたと告発する。
また、UUUMを退所していたことも明らかにし、UUUM側の不正についても暴露するという趣旨の動画も上げていた。

その内容及び真偽については割愛するが、とにかく、この一件により某チャンネルの登録者数は50万人まで増加した。

「田舎に移住した貧困女性が、その町の権力者による陰湿ないじめで数々の犯罪行為を受けた上で村八分になった」
この、「貧困女性vs町の権力者」という告発の影響は計り知れず、数々のネットニュースやインフルエンサーがこぞって飛びつき、動画内容を文章化した記事や加害者とされる側を非難する動画が大量に拡散され、それと同時に演者の女性が暮らしていた自治体や村民に対し、誹謗中傷ともとれる激しい非難が押し寄せた。

ここで僕が感じたのは、発信力のある1人の言葉が、一方的に事実認定されることの恐ろしさだ。
今回の場合、数十万人の登録者がいる被害者とされる女性と違って、加害者とされた側は大きな発信力を持っているわけではなかった。また、告発された自治体側も何かしらの見解を発信する気概があれば「公の機関の情報」として、また話は変わってきたのだが、自治体としては、マイナスイメージにも取られかねない発表は差し控えるのが常だ。
しかし、その場合、被害はその町の住民や加害者とされる人物に直接向かう事となる。

実際、その動画のコメント欄は、演者の女性を擁護し応援するだけに留まらず、自治体や加害者、さらには北海道全体を指した過激なコメントが飛び交い、地域住民たちが「とてつもない犯罪者」として扱われていた。
投稿された疑問や反対意見はいつの間にか削除され、一方的な見解が「事実」として蓄積されていった。
僕にはそれが、「その村の数百倍にも及ぶ登録者をもつチャンネル」による「数の暴力」に見えた。

当動画のコメント欄からは削除されていたが、疑問や反対意見は、当然あった。
また、「村八分」の証拠として被害女性が自身のSNSに挙げた画像に、自作自演の疑いがかけられたものもあった。指摘を受けるとその投稿はすぐさま削除されてしまったが、それでも何故か擁護派の目にはとまらなかった。

自分が推している人物の言葉を信用する気持ちはとてもよく分かる。
応援していた推しが悲劇的な目にあっていたら、助けたいと思うし、加害者側を叩き潰してやろうという気にもなるだろう。
「貧困女性vs町の権力者」という悲劇のストーリーは感情移入しやすく、自分の他にも50万人の擁護者がいると思うと鵜呑みにしてしまいがちだ。
しかしそれはあくまでも半分の情報に過ぎない。いかなる時も、もう半分と照らし合わせて判断しなければ、事実など図りかねようもない。

「人は見たいものしか見ない」というのは本当らしく、自分にとって都合が悪いものには脳が自然とフィルターをかけるらしい。
だが、それは理性によって克服しうるものだと僕は思う。
というか、そうであってほしい。

Youtubeにおける動画とは(SNS全般に言えるが)、どれだけ多く視聴者がいて、支持されていたとしても、決して真実を流すものでない。
あくまでもプラットホーム上にあるひとつのコンテンツに過ぎない。
僕たちはそのことを常に肝に銘じておく必要がある。

人は常に弱者に寄り添いたいと思う、そうすることが社会的に正しく、倫理的にも正しいと、なんとなくそう感じているからだ。
しかし、決してその物差しを他人に任せてはいけない。
自ら両方の情報をインプットし、併せて判断すべきなのだ。

今回の場合、社会的に見て本当に弱者なのは、「登録者数50万人の貧困女性」なのか、「町の権力者とされる一般男性及び地域住民」なのか。
判断が難しいところである。

本来ならば、両陣営を擁護する割合はもう少し拮抗すべきなのだと思う。
しかし、その情報源がYoutuberだけでは、バイアスのない結果を得ることは難しいこともわかる。

結果的にどちらを支持しようと、個人的には構わない。
ただし、判断に至るためのプロセスを感情論で省略し、他人に預けた物差しで出した意見は、例えどちらの支持であっても、僕は意見とは認めない。

この時代を流れる人たちに、自分も含めもう少ししっかりして欲しいと、切に願う次第である。

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