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幸セガ、アタシヲ壊ス

彼女は結婚5年目。
愛妻家の夫と結婚し、数年前には第一子にも恵まれ、世間的には恵まれている方だと感じている。
夫はテレビでしばしばネタにされるような家事・育児を全くやらない人間…ではなく、家事にも育児にも積極的で、近所に住んでる両親の助けもあって仕事と家庭を両立できている。
特に、夫は彼女が最も苦手とする料理を好んでやってくれた。
最近は在宅勤務の日も増え、その時には掃除も洗濯もやっておいてくれる。
職場の同僚からも「絶対手放しちゃダメ!」ときつく言われていて、そんなものか、と感じていた。

ある日、古い友人たちからお茶会のお誘いがあった。
子供を夫に頼み、久しぶりの一人でお出かけ。話が弾んだ。

A「うちの旦那は全然家事やんなくて~」
B「うちもよー本当やんなっちゃう!」

彼女は心の中で複雑な気持ちになった。
「うちは●●君が色々やってくれてる…勿論不満はあるし、この場の流れで悪く言うこともできるけど…でもすごく助かってるし、悪く言いたくない…」

A「ねぇ、○○のところはどうなのよ?やっぱり全然ダメでしょ?」
彼女「うーん、まぁまぁかなぁ(苦笑」
それしか言えなかった自分に嫌悪した。

家に帰ると子供はお昼寝中だった。
夫から「■■は今日もお昼一杯食べたよ」「掃除やっといたからね」「今日の夕飯何食べたい?」と矢継ぎ早に話しかけられた。

その時、ふと、彼女は考えてしまった。

「私、この家にいなくても問題ないんじゃないか?」
「家事もほどほどにこなし、仕事の給与も私より高い夫。仕事も家事もこなしているのは夫。何この惨めな気持ち。」
「私の役割はほどほどの給与の仕事と…育児?でも、昔はママにべったりだったけど、最近はパパに懐いている。お風呂もパパとしか入らなくなった」

「え、わたし…いるいみある?」

というように、一見理想的な状況であっても、そこで自分がどうありたいのか、どうあるべきなのか、それを見失うと、どんなに幸せな環境においても自分自身を見失うことって、あるんじゃないでしょうか。

骨の髄までしゃぶりつくすのもいいでしょう。
偽りの愛情だと突っぱねるのもいいでしょう。
全てを捨ててやり直すのもいいかもしれない。

どれを選ぶのが正しいのでしょうね。
どう振舞うことが正解なのでしょうね。

というとりとめのないことを考える1月の終わり。
自分の中では答えはある。が、多分それは僕にしか意味がないこと。

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