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近くて遠い

学生時代の友人ならお互いに失礼なこと言っても大丈夫だ。
という価値観がわたしには全然わからない。

学生時代に社会人を見て、大人は上辺で冷たいのだなと思ったことはある。振り返って考えれば、それはわたしがあまりにも無知であったがゆえにそう思っていられただけだった。というのも、人は人の気持ちを理解する術は無く、人の気持ちと称される他人の振る舞い、つまり見た目しか認識できないからだ。もしも友人に対して気持ちを確認するために「あなたは○○だと思っているよね?」と確認しても、それは確認ではなく同意の要求にしかならない。「俺たち親友だよね」と聞かれた日には、もう親友ではいられない。

親しき仲にも礼儀あり、という使い古された言葉がある。
わたしにはとても長い付き合いの友人がいるけれど、長い付き合いの中でお互いに失礼な物言いはどんどん削ぎ落とされてきている。わたしがそう思っていても相手はそう思っていない、ということは往々にしてあり、わたしと友人の間にはそれが発生しない、なんてことはない。それが人間というものの仕組みだからだ。お互いに失礼なことを言っても大丈夫と思っているのはわたしだけなのかもしれないという可能性を排除しきれないことには、長年の付き合いだろうとそんなことを言う気にはとてもなれない。

相手の存在を近くに感じるほどに、最初から人間同士は遠すぎて、実際には近づくことはほとんどできないことを知る。

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