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『アルジャーノンに花束を』

『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス著・小尾芙佐訳、早川書房)読了。今からおよそ65年前、1959年に発表された世界的超名作。最近はXで「読まないまま終わる人生もあったと思うと怖いってぐらい凄かった。」と、ある人が投稿し、再び話題になった本だ。

読了後は、まさにXの投稿の通り──こんな素晴らしい小説を読まずして死ぬことができるだろうか、と本気で思うくらいである。素晴らしい作品。その一言に尽きる。大蛇のような枝が絡まり荘厳な雰囲気を醸しだしている大樹を見上げる際に、感想を言えなくなるあの感じと似ている。私(読者)は、主人公チャーリイの文章で表現された"人生"を一つひとつ辿るだけ。たったそれだけなのに、心はすでにチャーリイに奪われている。

ところで私はそろそろ27歳になる。幼稚園で「あいうえお」を学び、そして小中学校で義務教育を受けた。高校では志望大学に向けて必死に勉強した。晴れて合格した大学で学問というものに触れ、周りより少し長く学生というものを経験した。いま私は社会人だ。社会人というのは本当に特殊な生き物で、これまで経験したことのない言葉遣いや表現をするようになる。頭に疑問符が出てくることもしばしばあるが、私は幼い頃から知識を増やすことが好きである。そのため、現在も数々の新しい環境、出会いのなかで順調に学べている。いくばくかの楽しさも見出せている。読書や映画等を通しての知識だけでなく、他者との接し方などの、いわゆる社会人としてのマナーや常識とやらを、経験から学べている。

だが、ふと思うことがある。学ぶことはどのようにして私の人生を彩ってくれるのだろうか。大人になり、経験を積み、知識を頭に詰め込むことで、果たして何を得られているのだろうか。要は、知識が邪魔をする機会も必然的に増えるのではないだろうか、と。

人の「知」は人を幸せにするのだろうか。あるいは、現在進行形でしているのだろうか。人は生きていればどうしても脳を使う。考え、考え、考える。知識を蓄えてしまう生き物である。ではなぜ、人は負の歴史を繰り返してしまうのだろうか。

これらの答えを、チャーリイはきっと知っている。評論のように主題を明文化しているわけではないが、チャーリイという"人生"を通じて、彼はそれを伝えたかったのではないだろうか。

彼らしさがぎゅっと詰まっている「さいごの一文」は、これまでの読書経験のなかで最も素敵なものである。私は彼の言葉を、これからの人生においてずっと大事にしていきたい。 #FlowersforAlgernon 🐁💐

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