椅子とりゲーム

YouTubeやTikTokとかで、まったく新しいジャンルを生み出し活躍し続けているパイオニアを見ていると、この世界は椅子とりゲームなんだなと実感する

これからの社会で生き残っていくには、椅子とりゲームで勝てないと、ほんとにやってらんない

ビジネスするにも自分の立場をかためていかないとどんどん仕事を取られてしまうし、SNSでもそれぞれのキャラクターを持って絶え間なく発信していかないと、どんどん忘れられてしまう。

自分の立ち位置を明確にできるという意味では欠かせない存在であるのはもちろんなのだけれど、

はっきり言って疲れる。

そういった、「キャラ」作りの仕組みに乗れないと、自分ははじき飛ばされて仲間に入れないなと

また波に乗れなことが続くと、徐々にじわじわと劣等感におぼれてしまう。


わたしは椅子とりゲームはあんまり好きじゃなかった。クラスのホームルームの時間かなにかにやるのも、できれば参加したくなかった。

フルーツバスケットとか(フルーツバスケットって久しぶりに聞いた笑)、鬼になって目立つのは途轍もなく恥ずかしいから、できるだけ鬼と目を合わせないようにしたいけど、「朝ごはん食べた人!」とか絶対逃れられないし、

一番最悪なのが、「名前に「〇〇」がつく人!」みたいな縛りで、それが自分だけだったりするとき。鬼と交代するしかないじゃん!狙ったでしょ!狙ったわけじゃないならかなしいわ!笑 …まてよ、いま思えば、「朝ごはん食べた」とか食べてないって嘘ついても絶対バレることないじゃん。。。正直か。。。


・・・、

もちろん椅子とりゲームが好きな人もいる。のは、知ってる。実際、楽しいって言ってた友達もいたし、

”世の中”で席を奪い合って生きていくことが必要なことも痛感してきた。

わたしも、ここで生き残るためには勝ち抜いていかなければならないと、必死になってきた。

でも、競争してみたとてうまく勝てない人もいると知ってほしい。自分を見失ってしまう人もいる。

ガツガツ前に出てアピールできる人がいれば、そうでない人もいる。人を蹴倒して生きていける人もいれば、誰かがショックを受けるくらいなら、譲ってしまう人もいる。

音楽いつ止まるのか、どのイスが空きそうだとか、考えれば考えるほどとやたら緊張してドキドキするし、席を奪うくらいなら譲ってしまうかもしれない人もいる。

前者は生きやすくて、後者は生きにくい。


でも、ほんとにそうだろうか。

たしかに「生き残っていく」には勝つ必要がある。

ただ、「生きていく」のはそうじゃない。

別に無理に勝とうとしなくていい。

静かにそこに座っていたいなら、図々しいかもしれないなんて考えず、どうどうとしていればいいし、

そこに座れる席がないなら、倉庫から別の椅子を持ってきたり、自分で作っちゃえばいい。

人に対する優しさを持てた人が、社会のせいでそれを捨てる必要は絶対にないと私は思う。

丁寧に丁寧に生きてきて、ひとつひとつ生きる力をゆっくりとでもしっかりと磨いてきた人が、無理に傲慢になる必要なんてない。

出遅れても、そうやってマイペースにゆっくり生きている人の居場所もあると社会に理解してほしいと思ってしまうし、理解してもらえないなら、せめてそういう人もいると気づいてほしい。それでも生きていけると信じてほしい。

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