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リラックスすることを超えて、うまい踏ん張りかたの教師が必要だ(`・ω・´)【気功/サイキック/脳波/内部表現書き換え/リラックス・弛緩/センター欠乏症/スピリチュアル】

気功とか、サイキックや脳波を下げるとか、変性意識とか、そういうのをやってると必ずリラックスすることや力を抜くこと、あるいは弛緩することが大事とされる

それはその通りなのだけど、

みんな日々の暮らしをがんばって生きてるんだから、力抜くのが下手なのは当たり前だと思うんです

だから力抜いて生きていこうって思って、僕らは、気功などをするワケだけど、それは自然のあるがままに生きる方向(現代では、かなり裕福でないと実現できないと思う)

ある時期に流行した種類の本には、力抜いて生きていくと、すべてがうまく回り出す!みたいなことを書いてあるのがあったし

身体意識のことを書いてある本(ゆる体操で著名な高岡さんの本)にも、

踏ん張る、頑張る、力むというのが、センター欠乏症の特徴とされていて、

膝が曲がって足腰で踏ん張ると身体の重心が低くなり、その結果目線が低くなる

その事は気分に影響を及ぼし、精神的にも視野が狭くなるという傾向が現れてくるのだとあります

(センターというのは体軸のお話で、いわゆる中心軸のことです)

でも、これを読むと、なんか頑張ることが悪い事のように思ってしまう

それに、力抜いてあるがままに生きようとしても、なんか希望した通りの結果(希望どおりに願望が叶わない)にならなかったりする


僕は、この事情について長い間頭を悩ませていたのだと思う

最近、中古本コーナーに、一昔前に流行ったようなスピリチュアルとか、ここに書いたような分野の本が安く出回っているから

以前、買い漁っていたような種類の本を今一度手に入れて目を通しています

それで思うのは、やはり「気」の使い方に類似する事柄について、一般にたくさん出てるスピリチュアル的な本には書いてない、抜け落ちてるようなことが見出せるワケです(そのようにとれる訳です)

わかりやすい例を一つ挙げると

天津で内気功点穴を学んだスイナの先生の本には(これは一般には流通していないテキストです)

気の不足は医者の気で補う必要があるとあって

治療者は、つねに心、気、意を用いながら、気と力を結合させるように配慮しなければならない、とある

心、気、意というのは

「精神の集中(心)、経絡を流れる気、意識やイメージ」

そして、気と力を結合させるというのは、

意識的に気を手に集めて、そして力を込めると言うことなのですが

これが、正常な「気」の使い方なんだと思うんだよ


気と力を結合させる(`・ω・´)


これが出来れば、別に変な念力とか使わなくても人生うまくやれるんじゃないのか


イメージングとか引き寄せとか、自己啓発やスピリチュアルや、引き寄せの奥儀のアトキンソンの超メンタルパワーとかでもいいけど

みんなこの点(気と力の結合)が抜け落ちてる…


つまり、センター欠乏症の話に戻せば、

(踏ん張る、頑張る、力むというのが、センター欠乏症の特徴とされている)

うまい踏ん張りかたの教師が必要なんじゃないのか?と思うという事です





だから、

イメージングとか引き寄せとか、自己啓発とか内部表現書き換えとかスピリチュアルやメンタルパワーの超人になってしまった先生方は、もう一度

僕がここに述べたようなことを考慮して、新たに人生をうまく渡っていくメソッドを作り直して欲しいんです(・_・)

以上が、
最近の僕の、ちょっとしたボヤきです…