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語尾によって変わるんだぞう

11/16(木)
天気:晴れてたと思うぞ


あれだね、改めて語尾って大事ね。

note書いてても思う。

書いてる途中で、内容についてはあんま迷うことはないけど

語尾については結構シンキングタイム多め。

なんなら、完成した後に書き直すこともしばしば。

やっぱり、ただ文章を書くんじゃなくて読み手にちゃんと伝わるようにするのが最重要命題だからね。

ここでの「ちゃんと伝わる」ってのは、単語の意味だけじゃなく

言葉や文章に込めた僕の思いや感想も含めて全部。

たとえば「〜だよね」と「〜だと思う」だと、読み手への委ね方に差があるし

書いている内容についてどれだけ熱が入っているかも、語尾で表現できることが多い。

だから、語尾によって伝わりを良くしていると言っても過言ではない。


また、上にある文の「〜全部。」のように

適度に体言止めを使うようにしている。

これによって文章全体のリズムが良くなって、読みやすさが増す感じがする、と個人的には思う。


ちなみに文章の読みやすさについて、使ってる単語や文の綺麗さだけでなく

リズム・歯切れの良さも大いに影響していると僕は考えてる。

だから、なるべく長ったらしくならないように

適度に文を切ってみたり、もしくは「っ」を使って軽やかにしてみたり

軽快に読める文章をなるべく心がけている。


書いてて熱くなっちゃうと、そうもいかないときが結構あるんだけどね。



ってなわけで、語尾の工夫は大事なうえ、語尾次第で文章の質が変わることも大いにあり得るってことだ。


それを踏まえると

相田みつをさんの作品ってめちゃくちゃ素晴らしいな!

僕は相田みつをさんこそ、語尾の効果を遺憾なく発揮して名作を生み出した、語尾の第一人者だと思っている。

もちろん、作品の内容も良いんだけど

その内容の良さを最大限引き出す語尾を巧みに用いてるんだよな。

「つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの」

この言葉は、みつをさんが50代後半のときのものらしいけど

もうこれは「だもの」一択だよねえ。

「だから」や「だもん」では軽い言葉に感じられてしまうし

かといって言葉を硬くしたり丁寧表現を入れると、全体的になんとなく薄く見えちゃう。

50代後半の哀愁・人生観を込めつつ、誰もが馴染みやすい雰囲気を出すためには

「だもの」がベストすぎる。

かと思えば

「しあわせはいつも じぶんのこころが きめる」

と簡潔に締めることで、グッとくるよう表現したり、

「毎日少しずつ それがなかなかできねんだなあ」

と嘆く(感嘆)ようにして、共感や心地よさを促したり。


どうです?

めちゃくちゃ巧くないですか?

きっと相田みつをさんって、感覚がものすごく繊細な方だったんだと思う。

それゆえに、心の機微を捉えて表現するのに長けていたんじゃないかな。



相田みつをさんが、語尾の使い方が上手なように

言葉の扱い方はその人の感覚や精神に直結している。

だから逆に、稚拙で粗野な暴言をよく吐く人間は、心が未熟で幼稚なのかもしれない。


そうなりたくはないし、思われたくないよなぁ。

僕もnoteを通して言葉の扱い方を磨きながら、感覚を研ぎ澄ませていきたい。

そしていつか、繊細な言葉選びが出来る人間になりたいと思っている。

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