「あいにく」も「めぐみ」も雨

5/14(日)
天気:あめぇ

昨日はあいにくの天気。

朝に結構強い雨が降って

そのあとは降ったり止んだり。



空模様に影響されて

ぼくもあいにくの表情。

といってもバイトだから

ずっと室内にいるんだけども。



ところで

いつから雨が「あいにく」になったんだろ。


日本では

縄文時代のいつごろからか

農業が営まれるようになり


農耕社会となってからずっと


人々は雨を求めていたはず。


もちろん洪水や土砂崩れの要因にもなるため

大雨は忌み嫌われていただろうが


「雨乞い」

が国家的な儀礼としてあったぐらいだから


雨は貴重とされていたに違いない。



それが今や、世間では「あいにく」の存在。  


年月を経て

こんなにも価値観は変わっちゃうのか。



だから現在は貴重だと思われてるものも


100年後、1000年後には

「あいにく」なものになってるかも。




たとえば

便利で、比較的リーズナブルで、美味しい、


現代社会を生きる僕たちに欠かせない


ファーストフード店。


そんなファーストフード業界にも

すでにSDGsの波がきてるらしい。


あるお店では

牛肉ではなく大豆を主原料とした

「ソイパテ」を使ったハンバーガーを出すなど


メニューにも変化がみられる。

もしかしたら

100年後には

生活に欠かせないファーストフードそのものが

忌み嫌われるものとなる...


そんな、大きな価値観の変化があるかもしれない。




でも!とかいろいろ言いつつも!



実際のところ

高校時代、部活の練習がしんどかった時

雨乞いをしました!


嫌な用事が、雨降ってなくなった時

雨に感謝しました!


つまり僕にとって

ふだんは「あいにく」の雨だけど

時と場合によっては「めぐみ」の雨なんです!



雨に限らず、僕に限らず

価値観ってそういうものじゃないの?



世間では「あいにく」と思われてるものも

実はあの人にとっては「ありがたい」もので

また別のあの人には「にくたらしい」もの。


価値観って常に

不安定で、個人差があって、一つの視点からでは捉えきれないんだと思う。


だから

自分の価値観を他人に押し付けたり

または他人の価値観を決めつけたりするのは


とっても浅はかだ。強引だ。

そんなことはしないほうがいい!



そして、個人差があるからこそ

自分には理解できない、どうやったって相容れない価値観ってのが

必ず存在する。

まあ、そりゃ存在するよ。

だって人それぞれ

育ってきた環境が違うからぁ♪

だもん!「セロリ」で言ってたもん!


なのに世間は


相手の考えてることを理解してあげよう

相手と同じように笑おう、涙しよう

共感できるようになろう


「相手の価値観を受け入れて共感しよう」

という価値観を押し付けてくるんだ。



いやいや

共感は必須ではないんじゃないかな。

僕は

別に価値観の違いがあることさえ理解できればいいんじゃないのかな。

と思ってる。


相反する価値観そのものを理解できなくてもいいから


相反していることを理解する


それで十分受け入れてるんじゃないかな。


相手を受け入れるってのは

必ずしも

相手の全てを理解して共感することではないと思う。



人それぞれの価値観が存在すること

それぞれの価値観に違いがあると知ること

違いがある、ということを認めること


それが大事なんじゃないかな。



という


これが僕の価値観です。

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