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最近のドラマに思うこと。

ゲイドルのぽたろうです。
noteで2番目に読まれているのが文学理論のことだそうで、需要がそこまであることに驚いています。浪人して第一志望の文学部に落ちて文化なんとか学部という崩れた学部(有名どころではない)で物語研究の本を趣味で読んでた私なんかでいいんだろうかというところは常々あるわけでして。
またしても鍵垢の棚卸しです。

録画してたBSプレミアムの江戸川乱歩「少年探偵団」シリーズの映像化を見ているけど、ほぼ原作通りの言葉に偽りなしで面白い。現代のエッセンス取りこんで30分で纏める力技。最近、原作を寝る前に読んでていま「妖怪博士」の途中だから早く読み終えてしまわなくては。
(ゲイドルの鍵垢より)
最近のドラマは多彩なエピソードが無駄なく詰めこまれているいるのに無理がないというか、凄いなあと。
登場人物や様々な要素がオブジェクトとして掛け算的に作られているのでしょうか。家の間取りでいうとセキスイハイムのように廊下を極限まで廃したという感じかしらん。
(ゲイドルの鍵垢より)

セキスイハイムの工場で家を作るみたいなのに憧れたのですが、実家の建て替えではブランド重視の母親の意見で積水ハウスになりました。
建て替えて数ヶ月で高校に進学し寮生活だったのでほぼ未使用。

うろ覚えだが、東浩紀氏が動物化するポストモダンで言及してたデータベース的消費の例としてあげていたデ・ジ・キャラットの主人公が「うさ耳」とかの属性を全部載せして云々は、凄い足し算的だと思う。
(ゲイドルの鍵垢より)

うろ覚えで適当なことが書けるのが鍵垢の醍醐味ですね。
誰もまともに見てねーし。
最近のドラマは単なる足し算じゃないよなーということが言いたいのだ。

斎藤美奈子氏の時評かなんかで、1990年代後半に死海文書が話題になって、最近も話題に。エヴァの聖書をモチーフにしたところに意味付けというか意味を見出そうと妄想するのが「オタク」というか、端から見たら違いが分からないものを細分化して嗜好するのが「オタク」というか何が言いたいんだっけ。
(ゲイドルの鍵垢より)
雑多な要素を参考にして、物語の糸が紡がれていって、歴史的な体系になっていって。
死海文書にも縁があるんかなって思った。ソフトウエアや情報を整理・共有するインフラが整って、脚本とか物語制作の形が変わってきてるのかなとも。作曲の世界ではコライト(共同制作)も増えてるようだし。
Redmineとか使ってたりして。
(ゲイドルの鍵垢より)

ドラマ制作もプロジェクトのひとつだと考えれば、プロジェクトマネジメントの手法も使えそうだし、シナリオもテクニカルに作られるのかなあって。
鍵垢の垂れ流しで手抜き感満載ですが。ではでは。

断捨離を推し進めた結果、男の子が寄ってこなくなりました。