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たらればの懺悔

2018年。明けましておめでとうございます。昨年はお疲れ様。

少しだけ昨年のことを振り返ります。色んなことがありました。

去年の7月頃、新卒で入り3年半ほど勤めた会社を辞めました。友達や知人にはブラック企業と悪名高く、辞めた時は皆が「お疲れ様。」「辞めれて良かったね。」と言ってくれました。

でも私はずっとモヤモヤしてました。だって私は会社が嫌いじゃなかったし、人間関係も良好だったし、社長や専務・他の社員にもちゃんと実力を認めてもらっていたのです。

ちゃんとできなかったのは私なのです。実力以上に功績を讃えられ、思い上がり、周りが見えなくなって、その裏側でたくさん人を傷つけました。

気づいた時には遅かった。

私に立場を取られた上司が鬱になりました。

会社で褒められることが、認められることが、仕事が楽しいことが、好きなことが、全ていけない感情のような気がして、会社を辞めました。


そういえば、昔も似たような感情を抱くことがあったっけな。

小学校や中学校の頃の読書感想文やポスター。何かしらのコンテストに出すとかで、だいたいクラスで1〜2名選ばれるやつ。アレいつも選ばれてはなんかの賞に入って、図書カードと賞状貰って優越感に浸ってたんだよな。

でもその裏で、去年まで別のクラスで入選していた子が、私と同じクラスになったことでコンテストに出されることすらなくなったのを知ってる。

優越感の、そのすぐ隣に、私が一番知りたくない負の感情がいるのです。

あの時、どうすれば良かったのでしょうか。

私に、あの微々たる文才や画才がなければ、、

会社で認められなければ、、

上司の後ろで慎ましやかな態度を取っていれば、、

人を傷つける才能なら、要らなかったのに。


、、、たられば ですね。


会社を辞めてから約半年、だいぶ自由に生きてきました。

皮肉な話ですが、今までの優等生道から外れ、会社を辞め、社会的地位が失墜した今、私はやっとゆっくり息ができるのです。

小さいことでうじうじ悩んで、毎日ほんのちょっとしたことにいちいち傷つき泣いて過ごす日が、なんだかとても自分らしくていじらしくなりました。

…そう思うまでに、だいぶ時間はかかっちゃったけど。


2017年を振りかえるなら、私は「たらればの懺悔」の一年でした。「もし〜だったら」と思う反面、決してそれを実行しない自分。過信・傲慢な態度への憤り。逃げてからやっと気づいた、たられば。

今年はそろそろ動き出さなきゃな、腰はまだまだ重いけど。

自分らしい生き方ができるように。

桜が咲く頃、少しだけ明るい未来になることを目指して。



2017年、お疲れ様。2018年、初めまして どうぞよろしく。

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