勤務873日目 働くとはなんなのか

ぶっちゃけると、この仕事について書くことがなくなったんです。
毎日やることは変わりませんし、再放送を繰り返しています。上司たちも朝礼で同じことしか言いません。

変化を嫌う人にとっては良い仕事です。
季節や天候にも順応すれば一人前。

無駄に異動する職場なので、一年ごとに新しい区を覚える必要性があったりなかったりするのですが(通区)、「覚え方」がわかればそれも大したことではありません。

郵便配達は3年半も働けば、「行き着いた感」とでもいうのでしょうか、自分の中で区切りがついた感じがします。

本題。

働くとはなんなのでしょう。
なぜ人は働くのか。

正直、ぼくはまた引きこもりたい。無職に戻りたい。
また、明日のこと気にせず真夜中の星空の下を毎日散歩したい。
一日中ゴロゴロしていたい。また図書館に通って無駄に本を読みまくりたい。毎日ゲームしてアニメを観まくっていたい。
好きな時間に起きたい。アラームに起こされたくない。

残念ながらそれはできません。
3億くらい資産があったら好きに生きられるのですが。

昔、ある仕事で寺に訪問したとき、和尚さんが言っていたんです。

「息を止めたら苦しくなる。そこからすべてはじまる」

もうちょっと色々言っていたのですが、つまり息を止めたら苦しくなるから、息を吸う必要が出てきて、
吸い続けるためにはエネルギーが必要で、食事をする必要があって、
食事をするために行動を起こす必要がある、という。

息を止めたら苦しくなるから食べ物を得る必要がある。
食べるだけなら乞食になればなんとかなるかもしれませんが、息を吸う活動が脅かされない安定した住居はあったほうが、より長く息を吸い続けられる。

それを得るために、資産がなければ働きに出て金を稼ぐ必要がある。

息を止めて苦しくないのなら、苦しみを感じる反応を切れるなら、食事を得るための活動を自由にやめられる。

働くとはなんなのか。
それは息を止めたら苦しくなることからきている

そのために社会に出て他人との軋轢で苦しまなければいけない。
マウントを取られたり、他人のサンドバッグになったり、気を遣って疲れたり、傷つけられたり、我慢したり。

息を止めて苦しい。「苦しい」の先にいけない。
必ず訪れる「息が止まる日」まで待つしかない。

だから社会に出るしかない。そこで苦しい思いをしなければいけない。

なぜ、もっと楽しく生きていけないのか。

自分はそうなれない。

それは自分のせいなのか。

働いていても楽しく、というより多少マシにして日々をやりすごす方法を、思いつくことはできるのです。
それは、「与える」ということ。

これに関しては次回書きたいと思います。

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