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ワタクシ流☆絵解き館その228 青木繁迷路🌊第四編 これがヒントを与えた絵?
青木繁の絵の着想に影響した作品探しをしていると、青木繁迷路と名付けるしかない教養の小径に入り込む。
それは青木研究の面白さでもあるようで、美術史の学者先生や研究者たちも盛んにそれをやっている。その仕事の中から、青木の諸作品との類似点が見られ作画のヒントになったという作品のうち、ぜひ紹介したいものをピックアップした記事の続編。その第四編目。
今回は青木繁による目に止めた絵の作品評も添える。
■「天平時代」の着想に影響した絵としてー藤島武二「諧音」
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隈元謙次郎「藤島武二」(1967年 日本経済新聞社刊 ) の中での指摘。
名作の評価が発表当時からあり、青木の天平時代取材の絵を触発したと指摘されることもある藤島武二の、「天平の面影」に続けて描かれた作品が、この「諧音」である。所在がわからなくなっているのだろう、モノクロ図版しか残らず、目にすることのない絵だ。120年前の作。画題としてのヌードはリアルであるほど、まだ道徳的警戒心の眼差しがつきまとっていたことだろう。
青木は、第8回白馬会展に出品して、第1回白馬会賞を受賞。画壇に登場した。黒田清輝門下であったので、先輩格の藤島の絵「天平の面影」も「諧音」も実物を見ていた。
やや歳月を経て自信作「わだつみのいろこの宮」が、意に沿わず評価を得られなかったとき、黒田清輝を筆頭に師系や先輩の画家に対して、美術雑誌でさんざんに毒づいた青木だが、藤島については名を挙げていない。自恃心のひときわな青木だから、藤島を尊敬していたかどうかは定かではないが、毒づく対象ではなかっただろう。
隈元謙次郎先生は、日本の美術史学者。 昭和30年 美術出版社刊「藤島武二」、昭和39年「近代日本美術の研究」などの美術史研究には必携と言われる著作がある。
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現在所在不明
■「春」の着想に影響した絵としてーエドワード・バーン=ジョーンズ「ペレウスの饗宴」、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「ボルジア家の人びと」
昭和61年「博物館研究」所収、石橋美術館学芸課長田内正宏「《青木が受けた影響について》の研究方向」図版のみでの指摘。
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筆者は過去の記事で、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が青木の「春」の下に潜んでいると解釈した。中央から左右に割れている感じや、頭の位置がほぼそろっている感じなど、「最後の晩餐」に似た部分がかなりあると思う。バーン=ジョーンズ「ペレウスの饗宴」から「春」を着想したとするには、描かれたものに、かなり捨てなければならない夾雑物があるように見えるし、「春」の独特のモチーフになっている駘蕩感、泰平感は、「ペレウスの饗宴」には淡い。
■ 興味を持ち、青木繁本人が文章で説明している絵
青木繁は、晩年の放浪時代、生活資金を得るため、注文を受けていくつかの肖像を描いている。その一例が下に挙げた「高取伊好像」。丁寧な仕事とは思うが、青木でなければ描けない絵とは言えず、青木の画業の解説の中で、取り上げられることがないのやむないことだろう。
たとえどんな絵でも、青木繁の作品が残っているのを喜ぶべきか、こういう絵は描かずもがなで、天才的画業の栄光を損じているととるか、意見は分かれるはずだ。
修学中、貪るように見た画集の多くの作品の、目についた肖像画について、青木は文章にして発表している。それがさらに下に挙げたワッツとホイッスラーの二点の絵。心を射止められ何か学び取るところがあったのだろう。その文章も添える。
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油彩 1871年頃
ワツラ作のロゼツチの肖󠄁像も、寫眞で見る種々の面影よりも遙かに其全󠄁般の性情󠄁が發揮されて居て、彼のプレ、ラフアエル、ブラザー、ラツドの畫家と詩人とを兼󠄁ねた才氣に充ちた人格が實に能く現はれて居る、
2003年 中央公論美術出版 『假象の創造 青木繁全文集(増補版)』より
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油彩 1872年から1873年 グラスゴー美術館蔵
是は先年物故した人で彼の有名なウヰスラー〈英國〉( 注・ホイッスラー
のこと ) がカーライルの肖󠄁像 を描いた、これも面白い作で、彼英雄崇拜論に見ゆる頭で市街を歩いて、 其社會的󠄁の頭腦種々な思想の混綜して居乍ら、亡分の家に歸つて來た所󠄁と云つた様な、彼の精力家のむづかし屋の頑固で、而かも奇癖ある様な性情󠄁が遺憾なく現はれて居る、
2003年 中央公論美術出版 『假象の創造 青木繁全文集(増補版)』より
「希望」と題された二点の絵の違いについて、青木は書いている。
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弦の力に何かうづむいて、頻 (しき) りに何か奏でている。四方清澹 (せいたん ※清らかでさっぱりしていること ) たる中に、弱い柔らかい光明が何処ともなく差し込んで居るといふ図である。是が人生における人類自の希望の運命であるといふワッツ自身の人生観から来たもので、誰しも希望の前には、人は盲瞑 (=盲冥 もうみょう※真実の道理にくらいこと )で、荒洪 (こうこう. ※はてしなく広いこと ) な宇宙の不可解に居し乍ら、ライル ( ※弦楽器) の五弦の竪琴テートは弾掻 (=掻弾 かいひき ※弦楽器を弾奏すること)
整然として一調一諧抑揚を誤らずに、楽しい譜を奏したいのであるが、決して世の中は然うは参らない。其五弦の中四弦は絶え果てて、僅かに残る一弦にせめて頼み少なき半生を慰めて居るといふのである。
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昭和6年刊 高見沢木版社「日本裸体美術全集第5巻」掲載図版より
上に掲げた青木のエスキースは、青木がワッツの「希望」について述べた文中の「四方清澹たる中」や、「弱い柔らかい光明が何処ともなく差し込んで居る」という部分や、「せめて頼み少なき半生を慰めて居る」と見る情感に通う雰囲気を漂わせているように思う。
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前回の「これがヒントを与えた絵?」シリーズの記事ですでに紹介したが、バーン=ジョーンズの「希望」は、「わだつみのいろこの宮」の豊玉姫の造形に影響を与えているという指摘もある。
この場所は牢獄の内部なのだろうか? 絵の背景は知らないままにして、青木の絵への思い入れの深さを読み取っておこう。
鉄窓に鎖された牢獄の内部に一人のニンフ ( ※ギリシア神話の精霊 ) が立つて居る。その細い腰には鎖が着いて垂れて居る。今其の右手を挙げて其頭上にただようて居る煙霧の中に、何者かを探らふとして一種哀酸な顔容をして居る。
其左手には何か花を持って居る所の構図で、人生の希望は、斯様なものではないかと言ふのである。即ち人間と言ふのは、絶対的な自由といふものはなくて、身辺の状境は強い力でからめられて居る。 (中略) しかし其間にも絶えず其隻手を挙げては雲のごとき中に何かしら掻き採つて何物かを得よふと索めて居る。又其隻手には匂やさしい草花を抱いて居る様に現世の慰謝に親しんでいる。
令和5年3月 瀬戸風 凪
setokaze nagi
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