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俳句のいさらゐ ⚡⚡⚡ 松尾芭蕉『続猿蓑』より。「埋火 (うずみび) や壁には客の影法師」


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草稿前書きから、門弟で近江膳所藩重役、菅沼曲水の江戸藩邸の一棟での吟であろうとわかる。元禄5年11月のことである。曲水に招かれて赴いたのであろう。曲水の公的な立場上、しばしば会えた師弟ではなく、師弟ともに貴重な座であったはずだ。
そしてこの句は、曲水が相手であることで特異性を持っていると感じられる。曲水については、以前の記事で取り上げた。再掲する。

曲水とは、どういう人なのか。
近江膳所藩士、菅沼家の主で中老職。しかし泰平の世の文人では終わらなかった。
芭蕉没後23年を経た享保2年(1717年)、膳所藩の藩主の寵愛のもと、藩政を私する家老の振る舞いに異を唱えての覚悟の義挙と言われているが、あるいは家老の私曲による幕府に漏れてはならない事案があって、一身で以てその芽を摘もうとしたためか、膳所藩家老に迫り詰め腹を切らせ ( 別の説では、自裁を拒む家老を我が家の玄関先において槍で突き殺し ) 、自らも切腹して果てたという、泰平の世の常なる人とは異質な、硬骨潔癖とも、激烈とも形容できる武士である。

    筆者の記事 「 俳句のいさらゐ 🌥🌥🌥松尾芭蕉   百歳の気色を庭の落葉哉  」より再掲。     

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曲水が相手であることが句にどう響いているかはのちに語るとして、先ずこの影法師をどう理解するかという問題がある。
一、 曲水に招かれ対座している客である自分、つまり芭蕉の影を、芭蕉自
   身がもう一人の客と捉えている。
二、 曲水と芭蕉の二人の影を、芭蕉はもう一人の客として感じている。こ
   の場合、影としては二つであるわけで厳密にはもう一組の客が、影法
   師としていることになる。主人である曲水も含めて、影法師という客
   となる見方だ。

一の解釈では、曲水と芭蕉と芭蕉の影の三つがこの部屋に存在する。
二の解釈をした場合、曲水と芭蕉は、一体化した主体と見ることができよう。曲水と芭蕉の一対に対して、二人の影のもう一対が、存在する。それを客の影法師と表現した。
私は、この二の方で解釈している。

二の解釈をする上で、「月下独酌」というよく知られた李白の詩を連想している。芭蕉の詩嚢には当然収まっていたであろう詩である。冒頭部分を掲げる。
  【本文】        【読み下し】
 花間一壷酒     花間一壷の酒
 獨酌無相親     獨酌 相親しむ無し
 擧杯邀明月     杯を擧(あ)げて明月を邀(むか)え
 對影成三人     影に対して 三人を成す

上の詩の「擧杯邀明月 對影成三人」の部分が、句に関係する。
意味は、「独酌するしかないが、名月を酒酌み交わす客として招き、杯をかざせば、月と私と私の影とで三人になる ( ので淋しいことはない ) 」となる。
人影にも存在感を認めている点で、芭蕉の句に通ずると読める。 

画・破笠(芭蕉門弟) 「芭蕉翁像」芭蕉翁記念館蔵

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「埋火や壁には客の影法師」私の想像する場面はこうだ。
おそらく、曲水との対座には酒が出ていたであろう。酒好きの師を招いて、酒がないということはないはずだ。飲むほど酔うほど清談粋話の趣がある座だろう。
また「埋火や」とあるが、埋火が影を作るのではなく、影を生み出すのは当然、行燈の灯であるだろう。埋火は、冬の季語として必要であったのと、暖が効かないというような失礼がないように、予備の炭が、火鉢に入れられているという情景を語っている。
私は火鉢を使ったことがある世代なので、埋火は、暖の強弱を調整するものであるのを知っている。多く炭を使えば ( 私の棲む地域では、火のついている状態をいこるという )、十分な暖が取れることになるが、暖が強くなりすぎた場合は火鉢の中の灰を被せて、放射熱を弱くするのだ。それが埋火。また、火鉢の元を離れるときもそうする。炭が一気に燃え尽きないよう節約のためだ。
それを知る知らないで、この句から感じる雰囲気はずいぶん違うだろう。
句からは、少し冷えて来たので灰を掻いて、暖を強くしようとしている様子が見える。それほど、長い時間話し込んでいることを暗示するだろう。
芭蕉は曲水を見ながら話し続けて来た。そして、埋火を起こす ( 火勢を強くすること ) 動作の中で、会話が中休みする。

そのとき、何ということもなしに、壁に映る自分と曲水の影に芭蕉の目が止まった。そして、師と門人としてこうして浮世の関係の中で向かい合っているが、壁に映った二人の影の方は、師で門人でもなく、ただ二人の人物がここにいることを示しているだけだ、という発見が芭蕉にあったのだ。
芭蕉は、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」と、先んずる元禄2年の『奥の細道』の旅での感懐を序文に書いた。
「過客」とは旅人のことだ。「埋火や壁には客の影法師」の「客」は、私には「過客」に等しく感じられる。

芭蕉と曲水の墓がある義仲寺 滋賀県大津市馬場

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師と門人という関係の中で、優れた俳諧についてや、他の門人の動向や最近の句について尽きることなく話し込んでいる、濃密で豊かと思えるこの時間も、そして師と門人という関係もまた、実は旅人のように、今このときここに留まっているにすぎず、この場限りで去ってゆくもの、影は過客 ( 旅人 ) として、それを教えているという思いが芭蕉を捉えたのだと思う。
それを無常観に襲われたと言ってしまうと、あまりに整い過ぎている。恋愛感情で経験する熱い思いの方が近い気がする。
恋人と会っている至福の時間の中で、ふと、この至福は、今このとき限りなのだ、という憂いが頭をもたげて来るのを、相似た感情として示しておこう。
よってこの解釈からは、「埋火や壁には客の影法師」は、芭蕉だけでなく、当夜の座の主人である曲水も含めて「客の影法師」でなければ通じない。

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さてその上で思うのは、芭蕉の死後の出来事になるが、冒頭述べたように、曲水が非常の、凄惨と言ってもいい死を遂げたことを思わずに、現在においては、この句を読むことができないということだ。
そして、芭蕉はもしかしたら、曲水という人に、極点まで沸騰する恐れを秘めた人間性を、内心感じ取っていたのではないかと思いながら、この句を吐いた芭蕉の心理を探ってしまう。
そう考えると、たちまち「埋火」が、たんに冬の季語であり、その場の状況の説明という殻を破って迫って来る。
つまり、精神に絶えざる火を持っていて、それを胸のなかに埋めている漢     ( おとこ ) が曲水だと感じていたのではないかと思えてくるのだ。深層心理としてそれがあったという気がする。だからといって「埋火」にそれを象徴させた句であるとまでは言わない。
しかし、( 春の日差しのような人だ ) とか ( 深い湖のような人だ ) とか、ふと何かの事象から、ある人を暗黙のうちに想うことがあるのは、誰もが経験することだろう。
芭蕉の口をついて出た「埋火」もまた、曲水との付き合いの中で宿っていた潜在意識により、曲水と二人の濃密な座において、目に止めさせたものであったと私には思える。一言一句、須らく張りつめた句である。

              令和5年4月     瀬戸風  凪
                                                                                        setokaze nagi







 


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