俳句のいさらゐ ⊷⊷ 松尾芭蕉『奥の細道』その一。
俳句の深い世界へ連れて行ってくれる創作者としては、松尾芭蕉の右に出る人はいないと思っている。芭蕉の生み出す小宇宙を味わってみたい。
標題の「いさらゐ」はちいさな泉のこと。にじみ出て来る思いを、そんな古語に喩えてみた。
田植えも柳も、眼前の実景である。
「道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ち止まりつれ」と詠んだ西行を慕った芭蕉、下野国(しもつけのくに 現在の栃木県)那須郡芦野の一角に来て読んだ句だ。
立ち去るのは、植えた人なのか、芭蕉自身なのか、と読みが分かれる。私の読みでは、当然植えた人である。田植えに余念のないと見えた農夫・農婦たちが、今日はここまでと作業を切り上げて帰ってゆく。芭蕉は、田植えの様子を興味深く見とれていたのだが、( ここまでで、今日は終わりなのだな ) と、農夫たちの姿を見送った後、つい今しがたまでそこにあった人の影が消えた寂しさに包まれる。その寂しさを募らせるように風が、柳を揺らしている。
同様の思いは、小さな出来事ながら私にも経験がある。ひと山登るために、山すそ道を歩いていて、たまたま見かけた田植え風景に、季節が動いていることを強く印象付けられる。幾時間かを経て下山し、ふたたび同じ道を帰る時には、もう田植えは終わっていて、水の張られた田の上を、風が吹き抜けてゆくだけの、颯々とした光景を見る。短い一日の中にも、確かな時間が流れたことを、その光景によって知らされる。あの人たちは、無事田植えを終えて一安心の思いの中にいるだろう。その歓びに等しいほどの歓びが、今日一日の私にもあったと言えるだろうか。
柳は女性を象徴するという解釈がある。そこから、田植えをしていたのは若い女性で、芭蕉はさっきまであったその姿を偲んでいると推測する見方だが、私はこの句から、若い女性の匂いは感じない。とらえ方として世界が狭いと思う。いわんやこの句には、写実絵画が与える印象のような、土俗的な空気感も吹き払われている気がする。抽象観念の方が立ち上がって来る。
芭蕉が身に染みて感じて、この句を詠んだ気持ちの底にあるのは、旅する者の、漂泊の旅を修羅と知りてなお、そこに身を置かずにはいられない者の愁いである。それは「奥の細道」全文を貫く文学的主題である。
芭蕉の身の内に流れている時間は、「田一枚植えて」という生産的な、目に見えて何ごとかが進んでゆくものではない。いつも心の内には、ただ柳を揺らす風が吹いているだけなのだ。
芭蕉の気持ちはこういうことだろう。詠嘆と言っていい。
田を植え今日はここまでと帰って行った彼らには、さらに明日も田植えを続け、それからは田に水を涸らさず、草をむしり、害虫を除き、啄みに来る鳥を追い、やがて稲を刈る時を迎えるというやむことのない農作業がある。けれど私はこの先も、風に揺れる柳のような漂泊の思いとともに、何が得られるともわからない、いつ果てるのかも見通せない旅を続けてゆくだけなのだなあ、自ら望んだことながら。
夏の暑い日に、旅の大きな目的でもあった霊山月山詣での難路を登り切って、月の出の時刻に至った感懐の深さが、この句を鮮やかにしていることは間違いない。
その上で、この句には、はるかな歳月に思いをはせる芭蕉の境地が実景に重ねてうたわれていると思う。「奥の細道」全句のうち、最もスケール観が大きく、誰の人生にも通ずる普遍性をうたった指折りの名句であろう。
こういう解釈だ。
雲の峰は、若き日々を暗示するだろう。次々に盛り上がり、湧き立つ雲に若く壮んな生命力そのものを見ている。ああ、なんと激しい、抑えようのない情熱にかき立てられて来た、若く壮んな月日であったことよ。何度も夢を見た、その度に失意も味わった、けれどまた気力を奮い立たせてやって来た。私は俳諧師として新しい地点に立つ意気込みから、老いの身で、こうして長途の、生涯の仕上げになるかもしれない旅に出た。苦難の旅だが、私の心は満たされている。山の端を白く染めて登って来る月のかがやきのように、今の私の心は澄明だ。そういう安寧の気持ちに包まれて、今、私はここにいる。
令和5年3月 瀬戸風 凪
setokaze nagi
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